2013年8月4日日曜日

8/3土曜 あさりの炊き込み御飯


「魚介」ってぇのは「新鮮」なのを「新鮮」なうちにやっつけないと、
「火」を入れすぎると臭くなる。

特に「あさり」等、小型の「貝類」ってのはてきめんで、
「生き」てたとしも、「活き」が下がってくると、
「サっ」と「火」を入れるぶんにはまだしも、
ある「点」を過ぎると「固く」なるだけじゃあなくて、
「妙」な生臭さが出る。

だいたいスーパーなんかで売っている「あさり」なんざ、
売り場に並ぶまでにも、どんなに輸送手段を凝らしたところで、
「海」から上がって少なくとも一日二日は経っているわけで、
「海」での「生き」に比べりゃあ、「元気」は確実に下がっている。
なおかつ、店先でいたずらっ子に「チョされ」つつ、
一日二日経っちまったら、「生き」てたとしても虫の息だ。

物が小さいだけに、暑さには弱いだろうし、
夏の「あさり」なんざ怖くて使えたものじゃあない。
それこそ「火」を入れ過ぎは禁物だが、
入れな過ぎも恐いので、厳重なタイミングで食わにゃならぬ。


先日「潮祭り」にて「魚介トマトラーメン」なる物を頂いた。
まー売れないせいか、中の「魚介」達は「真っ赤」に煮〆まっている。
多分、冷凍の「魚介」を使用していたものと思われ、
味はとっくに「妙」な塩梅になっている。
し、「トマト」ってやつも煮込むほどに、
「新鮮味」「爽やかさ」は飛んで「煮込んだトマト」味になっていくので、
「ダブル」で「煮込み過ぎ味」になっている。
「食い物は捨てない」はモットーなれど、流石に半分食うのが限界。

もっとも以前、こんな事があった。
「海外在住」の時分、浜で大量の「あさり」を採取、
帰宅後、まだ「ビンビン」のヤツらを「佃煮」にした。
これが美味いのなんの「臭み」のかけらもない。
「佃煮」なんだから、長く「火」にかけたのにも関わらずだ。
つまり「活き活き獲れ捕れ」だと「臭み」は出ないってこった。

ともかく「魚介」は煮込み過ぎには注意が必要だ。
「魚介のカレー」のカレーも然り。
今回の「あさりの炊き込みご飯」も、
「あさり」を酒蒸しにした後は「汁」だけを炊き込みに使い、
「あさりの身」は食べる寸前に「ご飯に」合わせた。

が実は当店に「あさりのしょう油漬け」ちゅうメニューがあって、
冷凍保存してあったその「しょう油」を使ったんで、
「炊き込みご飯」は、贅沢なほどに「あさり味」だった。

その「しょうゆ漬け」、
「あさりに余計な火を入れない」事を目指した料理。
そりゃあ美味いわな。

"newport"宮木英貴


2013年8月3日土曜日

8/1金曜 麻婆茄子の焼きそば


なんたって今は「夏」、大中小、そこら中で「ナス」が安い。
だから「ナス」って事さね。

「ヴェネズエラ」仕込みの「麻婆ソース」で「ナス」をやっつける。
味は「ニンニク」「豆豉」、刻んだ「ザー菜」が入って、
仕上げに「香菜」が山に乗る。

全部の「ヴェネズエラ風」は「そう」ってんじゃなくて、
一軒の「中華屋」の、一人のコックさんの「麻婆」が、
たまたま「そう」で「お気に」で通ってたって事。
もっともコック一人一人で味が違うなんざ、
それこそ「彼の地風」なんだが。

「ヴェネズエラ暮らし」も長かったせいか、
あちこちにその影響は残っている。

店では「レモン」はほとんど使わない、代わりはいわゆる「ライム」。
彼の地には日本で言うところの、黄色い「レモン」はない。
全部が「ライム」で「リモン」と呼ばれる。
ご家庭の裏庭には「リモン」の木があったりも。

「辛いソース」を用意している。
彼の地の食い物屋さんは、それぞれに自慢の「辛いソース」がある。
それは「刻んだ野菜」野菜だったり「何かのディップ」だったり、
「チーズ」入りなんてのもある。


事は「食い物」だけじゃあない、
最大は「命」にも関わる事なので、まさしく「染み付いた」が、
「人を見たら、泥棒と思え」いわゆる「性悪説」だ。
まあ根が「人の良い性善説日本人」だから、
なかなか徹底はできないんだが。

例えば、電話では、個人名を最初からは名乗らない。
わざわざ「電話番号」と「個人名」との関連を、
知らない奴に教えることはないって発想だ。
まあ、まだあるが、悪く取られるとイヤなんでやめとく。

なんせ「日本」程安全な国は無い。
深夜の女性の一人歩きなんざ、彼の地じゃもっての他、
「タクシーの運転手」だって、暗くなりゃあ客が男性でも、
玄関に消えるまで「安全」を見届けてくれる。
車は基本、窓を開けない。開ける時は「時計」は右手。
交通量の少ない交差点はそろそろ走って信号無視、止まる方がヤバイ。
「リュック」は人通りが多い所じゃあ、腹掛け。
etc.etc.etc.etc.

少しは日本人も「怖がった」方が良いかも。


"newport"宮木英貴





2013年8月2日金曜日

7/31水曜 豚しょうが焼き 目玉焼き丼


「今日の賄い」、「孤独のグルメ」なるTV番組からいただいた。
この手の若干「ジャンク」っぽい食い物は、すんごく「そそる」。

「ジャンク」っちゃあ「辞書」によると、
「値打ちのないもの。役にたたないもの。がらくた。」との事。
「ポテチ」なんかはその代表格で、お似合いだが、
他の食い物を表すにゃあ、ちょいと気が引ける言葉だ。

が、
「値打ちのない」=気取ってない、シャッチョコばってない
「役にたたない」=「彼女」口説くにゃちょっと…
「がらくた」=そこら辺じゅうにある
と訳せば、いわゆる「定食屋メニュー」ってこった(ちょい苦し)。
まー「定食屋メニュー」ちゃあ「家庭料理」の延長だろうから、
「良く食う食い物」って事でもあるかな?

例えば、この「豚しょうが焼き 目玉焼き丼」、
その「良く食う食い物」どうしを組み合わせる、
「ジャンク」に「ジャンク」を重ねると、その「豪華絢爛」さはどうだ!
別々に食っても美味い「あれとそれ」をどうして合わせるのか?
それこそ「無駄」、「ジャンク」と呼ばれてもしょうがないが、
その「無駄」にこそ目は潤み、食欲は暴発する。

「もう夢見ているみたい」

「カレー」に「とんかつ」かちょい下って「コロッケ」乗っけ、
昔の「丸井の食堂」の「ハンバーグ」が乗った「スパゲッティ」、
「頭」が付いたままの「エビフライ」、
ある意味「ハムエッグ」とか「ベーコンエッグ」、
ラーメンが見えぬ程デカイ「チャーシュー」、
間違っても食わぬが「毛がに」が一パイ乗ったラーメン、
etc.etc.etc.etc.etc.

さてさて「丼」は一つの「ジャンクの牙城」とも言える。
「米」は日本人にとっちゃあ特別、ただでさえ嬉しい、美味しい。
そこに「意味がないほどの贅沢品」から「バターしょう油」まで、
「何でも来い」は「丼」だ。
「ジャンク魂」は「丼」にこそ発露するのかもしれない。


考え出すと、何処までも飛んでっちまうが、
「ジャンク」は、庶民の「プチ贅沢」、「幸せ」の証だ。

ま、なんかちょい「貧乏クサイ」けどね。

"newport"宮木英貴




2013年7月31日水曜日

7/30火曜 スープカレー


「スープカレー、水で普通のを延ばしただけ」
なんて言ったら「殺される」かも知れない程に、
本気度で取り組んでいる方々も多く、まさに多種多様になっている。
もっとも、一時の「雨後の筍」状態も一段落、
淘汰は進み「本物」だけが残って行くような塩梅だ。

かく言う「私」も数年前、
「魚介のスープカレー」なんてのを「お慰み」にやっていたが、
「デタラメなそれ」は「淘汰」の洗礼を免れず、今は昔。
長い事「頭」の片隅にもなかった。

ところが、ここ最近「写真」やら「TV」やらでチクチクやられ、
「なんか作ってみようかい」って気なるから不思議。
嫁は「けッスープカレーかい!」ってのが基本姿勢だから、
まずは「嫁をノックアウト」を目標とする。

作戦1
そもそも一般的「スープカレーのトッピングの野菜」は、
「揚げてある」のが年寄りにはなんせ重い。
「調理時間、手間等」を考えた結果なのだろうが。

作戦2
「スープカレー」は「すすり込む」、つまりは「香り」も「すすり込む」、
「香り」が立っていると「香り」の快感は大きい。
でだ「香り系スパイス」「ハーブ」の類いで「香り」の補強をしてやる。

作戦3
「通常カレー」は「咀嚼、味わう」〜「飲み込む」、
が「スープカレー」は順番は逆。
「カレー成分」が口に残る時間は短いので、
「香り」とともに「旨味」もはっきりしているのが「良い」と思われる。

この3本建てで行く事にする。

で、本日のそれ。
「野菜」はスープカレーで煮込むか「オーブンまたは直火」で焼いた。
「タイム、バジル、オレガノ、ローズマリーetc.」の「ハーブ」たっぷり、
「コリアンダーの種、ナツメグetc.」の「スパイス」もたっぷり。
出汁は「鶏手羽元」でさっぱり。
総括すると、
「香り分たっぷり、とろみがつかないシャバシャバ」なカレー。

「スープカレー」ったって、
根本的に「通常カレー」を作る材料と大差ないんで、
「ハーブ系をしこたま」でも、その「味の根本」は変わらない。
出来上がるまで気が付かなかったのは不覚。
嫁には「薬膳みたい」と言われ「ノックアウト」はちょい遠い様。
流石に「ハーブ系」多過ぎたか……。

ちょい気合い入れて「スープカレー」に向かった。
まー不味くはなかったが、一層の「工夫」が必要って事は分かった。
侮りがたし「スープカレー」。


"newport"宮木英貴



2013年7月30日火曜日

7/27土曜 タコの柔らか煮のパスタ


当店、時たま10kg前後の「活けタコ」を仕入れるが、
全部が全部、お客様に使える訳でもなく、
その余る部分が「柔らか煮」になったりする。

こいつを「アヒージョ」ってやつにすると酒の当てにまた良い。
たまに「パーティー」にも出されるが、
その「おこぼれ」が「賄い」になったりするわけだ。

「アヒージョ」は簡単に言うと、
「オリーブオイル」タップリで「ニンニク、トンガラシ」、
時に「アンチョビ」を入れて炒める。
ま「油」を食う料理で、「パン」なんざ添えて供される。
これを「パスタのソース」かなんかにすると、また良いんんだ。

「タコ」は単純に鍋で長時間煮ると(45〜60分)、十分柔らかくなる。
し、若干上がりは汚いが「圧力鍋」は時間短縮になる。
ただ水だけ、いわゆるただ「茹でた」だけでも、
「タコ」自体が持ってる「塩加減」「旨味」だけで十二分に美味い。
「和食」だと、これに「味」をするパターンも有るが。

さて、
大まか過ぎる分類だが「肉魚介」の類いは、
「火」を入れ過ぎて固くなる以前に食うのが普通。
だが、固さの「コシ」が抜ける程に、
「茹でたり、煮たり」して食うとまた、美味いもんだ。
「タコの柔らか煮」も、まさしくその類い。

ちょいと煮ても焼いても食えない「固い」材料を、
長時間「煮る」とかして「フルフル」にする手は色々に使える。
「肉類」は硬い部位に限らず「軟骨」「スジ」なんざ煮込んで、
「しょう油」「味噌」と「甘っ辛く」味したら、
「飯」にも「酒」にも言う事はない。

「魚介」だと、ちょいと贅沢だが「アワビ」なんかも美味い美味い。
こりゃ「和風」に味するのも当然いけるが、
先の「アヒージョ」なんざして、
「煮汁」も入れて「パスタのソース」なんかしても絶品。
若干「生き」が下がったヤツでも十分いけるんで、是非お試しを。
ジュル………。

"newport"宮木英貴




2013年7月27日土曜日

7/26金曜 冷たいラーメン


「中国」「韓国」「ベトナム」「タイ」………。
アジア系麺料理のバラエティは、
自分の中では、とっくに理解の範疇を超えている。

「あれは⭕⭕でしょ」とか「それは❌❌でしょ」とか言われても、
正直なところ、さっぱり分からぬ。

興味は当然あるが、理解する気があまりないし、
そもそも「大概の料理」における「明確な定義」なんてものも、
「どうでもなるわい」と、信じていないので、
「それがあれです」かなんか言われても「はぁっ」てなもんだ。
料理なんざ「言った者勝ち」だ。

だいたい最近の「中華系冷たい麺」にしたところで、
「冷やし中華」どころじゃあなく、
「冷麺」だの「ラーメンサラダ」だの「冷やしラーメン」だのと抜かす。
売り物の料理にゃあ「名前」は必須だから「しょうがない」が。

「冷麺は中華ぢゃない、韓国だ。」とか、
「冷やし中華の麺替えたら冷麺か?」とか、
「冷やし中華を、バラして盛ればラーメンサラダか?」とか、
「冷やし中華のツユを水入れて延ばせば冷やしラーメンか?」とか。
つまらん、浅い考えの「突っ込み」は思っても言わない。

料理を作る方には「明確な心情、心意気」があって、
「これはこれ」と命名なさるんだろうから「それはそれ」で尊重する。
が、当方としては「これがそれ」でも一行に構わない。
第三者の「それはあれ」との発言も「ご勝手に」だ。

作り手の「こだわり」「オリジナリティ」結構。
正直なんだろうと良い、料理として「美味きゃあ」OKだ。
たださ、出来たら、
自分が想う「定義」を「一般論」にすり替えるのはやめてくんないかな。


ちなみに此度の「賄い」、
小樽某所の「冷たいラーメン、酸っぱくありません」に挑戦。
出汁は「豚」、冷えれば「フルフル」になる寸前のゼラチン質。
「麺」は「冷やし中華」バージョンで「ビシッ」と締め、
トッピングは「もやし、豚肉、キューリ」を、
懐かし「◯ちゃんラーメン」の「台湾ラーメンソース」で和える。
出来上がりは、まさに「台湾ラーメン」の趣なり。
冷たいとは言え、ちゃんと「ラーメン」でした。


"newport"宮木英貴


2013年7月26日金曜日

7/25木曜 雑煮


先日、極近い身内の「法事」があり、
お供え物の「モチ」を、お寺さんから頂いた。

おそらく、永く製法を引き継いでいると思われる、
一口じゃあ、ちょいとハバケル程度の大きさの「丸モチ」。
一個失礼して食ってみたら「美味い」。
そこらの「充填モチ」と、そりゃあわけが違う。

んで「モチ」と来りゃあ「雑煮」でしょ。
てんで「我が家風雑煮」が此度の「賄い」となる。

さーてさて、
「雑煮」は我が「賄い」じゃあ年がら年中だが、
本来「正月」を祝う、「ハレの日」の特別な食事だ。
そんなこんな「地方色が豊か」と見聞きする。

同じ地に永く住み続けている人達の「それ」は、
環境が変わらぬ限り、永く同じ「それ」だろうとは想像できる。
じゃあここ、全国各地から人が集まっている「北海道」、
あちらこちらが「溶け合っていく」だろう事は想像に難くない。

そりゃあ「初代」は、故郷から持ち込むだろう。
「同じ」「似た様な」材料を探し、工夫する。
後々「A」と「B」、別の土地出身の者同士が家庭を持つ事にもなろう。
そうなると、どちらかの持って来た物に傾くかも知れぬが、
「モチはA」だが「汁はB」みたいにも「溶け合っていく」はず。

こうして、それぞれの家族の中で「雑煮」は「進化」して行く。

別に「地方色豊か」であることを否定しようってんじゃあない。
料理の「進化」は「ロマンチック」だと言いたいだけ。
その「混沌」ぶりを想うだけでも「震えて」しまう。
「地方色」は各「家」で温存される。


「方言」が、「メディア」のせいで「標準語」に矯正され、
また、その「メディア」のせいで「一地方の方言」が全国で使われる。
まさか「標準雑煮」を唱える「バカ者」もおらんだろうが、
是非「雑煮」こそは「各家の地方色」であって欲しい。


待てよ、別にこりゃ「雑煮」に限ったものばかりでもないか………。
良く考えると、北海道じゃあなくったって......。

……「妄想」は限りも無く羽ばたく。

"newport"宮木英貴