2012年10月28日日曜日

10/27土曜 焼売乗っけの、シンプルあんかけ焼きそば

「不味い。」「飽きた。」思わず箸を止めてしまう。
「酢」をかけたって、「辛子」を付けたって。
増してや「紅生姜」を乗っけったら、事態は余計に深刻になった。


前日が、自分達の「飯」の事まで考えが及ばない程、「バタバタバタバタ」で、
当日、買い物中の「スーパー」で、「賄い」を模索。
「30円引き」のシールにつられて、「焼売」を手に取りつつ、
「具なしの"あん"をかけた"焼きそば"に、焼売をのっけようか」と閃く。
嫁が、「具なしは寂しい」との発言に、
じゃあってんで「もやしと長ネギ」を入れる事に決定。
「もやし」は「安さ」の王様、「長ネギ」は頂きもんがある。

「あん」のスープ何ぞを仕込んでいる時間は無いので、
お手軽「中華味」の奥の手、「味覇(ウェイパー)」にお願いするつもり。
が、以前手に入れた「中国製乾麺」のおまけの、
小袋「粉末スープ」を思い出した。


例えば
「納豆のタレ、芥子」「パックの刺身のワサビ」「市販弁当のしょう油、ソース」
「スーパーの餃子のタレ」「焼きそばの粉末ソース」etc.etc.etc.……………。
そんなのを「いつか使うだろう」ってんで、
「チマチマ」取ってある。「セコセコ」貯める。
いつの間にか冷蔵庫の片隅には、そんな小袋が山になっている。
誰もが、身に覚えがあるだろう。全く「無駄の横綱」クラスだ。
「何かのサービス」「料理ベタのヘルプ」「独身男への思いやり」
なのか、何のつもりなのか、一向に無くなる気配が無い。

大体において、その辺の「小袋」が美味かった試しはないのだが、
何故か、「チマチマ」「セコセコ」になっちまう。ま、ただの貧乏性だが。

で、その、「中国製乾麺」のおまけの「粉末スープ」。
「御多分に洩れず」不味い。
「いろいろ工夫でもすりゃ」と思い、何とかしたつもりだったが、
いざ食事の段で、素性は露見する。

多分そいつは「味の素」系の物に、何か香り成分を付けただけの代物。
嫁に言わせりゃ「平べったい味」、まさしく「言い得て妙」。
「化学調味料」は、あくまでイメージだが、
口の中に「バリア」「幕」を貼った様にしていまう。
結果、他の味がしなくなる。

「もやし」「長ネギ」「麺の小麦粉の味」etc.
この度の「賄い」には、シンプルとは言え、諸々「材料」は使われている。
その「味」が、しない。
「後味」も悪い。口の中は「ベタベタ」する。

今日にでも、そのお粗末な「粉末スープ」は、
廃棄処分にしよう………。

newport宮木英貴




2012年10月26日金曜日

10/26金曜 温麺


そりゃあ「素麺」と言えば、「涼」を求めて、
「冷たく」食べるのが普通だろうけど、「温かい」のも捨てたもんじゃない。
いわゆる「あっさり、サッパリ」の「食」にはなるが、
「鶏肉」何ぞを出汁にと使えば、それなりに「味」に「ボリューム」感も出る。

「賄い」のアイデアも行き詰まり、目に止まったのが「素麺」。
これは、頂き物の最後の最後、「夏」の名残だ。

まあ、適当に「有り合わせ」で「汁」を作って、
仕事の手順上、「麺」を「茹で置き」にしておいた。
食す時は「汁」を温め、「麺」を入れりゃあ完成、手早く出来る。

驚いたのは、食べている時。
「素麺」の「麺」が、「しゃっきり、くっきり」している。
「茹で置き」の上に、「温め」ても「コシ」がしっかりしている。
「茹で置き」にした時点で、「ぶよぶよ、ぐっちゃり」は覚悟していたのにだ。
向こうが透けそうな位、透明になった「素麺」は良く見る。
始めからそれを「イメージ」していただけに、「ビックリ」。

ずっと「冷たく」食べていただけに、気が付かなかった。
「材料」の素性が、より良くて、「製法」が、より丁寧なんだろう。
その「素麺」、「揖保の糸」の黒帯。

「すわ」と思い、「web」で検索。
「揖保の糸」は、「乾麺」に巻かれた「帯」で等級が分かる。
その事は知っていたが、具体的に「黒帯」がどの等級かは、知らなかった。
で「黒帯」は、「特級」、「最上級」だそうだ。
「はー!」ってなもんだ。


その「揖保の糸」は、ある方の「四十九日法要」の「引き物」として頂いた。
その方、この「春先」に「膵臓癌」で亡くなった。
生前「newport」を好いてくれていて、
亡くなる寸前にも、「行きたいねー」と言って下さっていたそうだ。
で、「四十九日法要」後の、家族での「食事」に当店をご利用頂いたということ。
そりゃあ「店冥利に尽きる」ってもの。

改めて、「気持ち」を感じたと言う塩梅。

ご冥福を、お祈りします。

newport宮木英貴



2012年10月25日木曜日

10/24水曜 鶏の塩麹漬けのソテー


そろそろ「流行り」も廃れ始めたかいな?

「先ずは既製品で味を知ってから。」なんて思うより、
何せ「塩」「麹」「水」の原価の「安さ」に引かれて、
「何の事かサッパリ分からんけど自作」に走った方も多いと思われる。
かく言う「私」めも、その一人に数えて良い方向。

「web」を頼りに、「自作」はしたものの、
「本物」の味が分からんばかりに、
出来上がった「塩麹」が良いのやら悪いのやらで、
「確信」が持てなく、「飽きた」「諦めた」人も多いはず。

そりゃ、飛びつくスピードが早きゃ、離れるスピードも早いは道理。

我が一回目の「自作」は、「web」での注意事項を良く守り、
結果、「これで良いのかよ?」って出来だったのは正直なところ。
「毎日かき回して、一週間、常温で」ってのが、その注意事項。

「こんなもんかい?」と思いつつも、
料理に使って、不味くはなかったので「まあ良し」としていた。
けど、特に「美味く」もなかったんで、「飽き」が来てたのも事実。

ある日、気が変わって、再度の挑戦を迎える。
が、「一回目」程の「緊張感」も「集中力」も無い。
ただ、最初にかき混ぜて、放置して合ったも同然。
時は、9月の猛残暑の頃、「一~二回位かき回したかなー?」ってとこ、
期間も著しくオーバー、二週間近くに放ってあった。

これが解らんもので、大成功。
「甘み」も良く出ていて、結果「塩辛さ」も抑えられている模様。
「たまたま」に「たまたま」が重なって、上手くいったのは言うまでもない。

「web」で、「塩麹  発酵  条件」で検索したら、
「面倒」な話が、ズラズラ。とても理解する気にはなれない記事ばっか。
「何故上手くいったのか」を検証するのは、困難この上ない。

「菌」ちゅう「生き物」さえ、コントロールは無理って事であります。
ちゃんちゃん。

newport宮木英貴



2012年10月24日水曜日

10/23火曜 カレー


定休日明けで、「賄い」の「準備」「構想」「覚悟」が出来ていなくて、
家にあった「冷凍カレー」でお茶を濁した。

その「冷凍カレー」、分量が少々「さみし」かったので、
「増量」の指示が、嫁から出た。
「ここぞ、工夫のしがい。」と、旦那は意気込むのである。

前にも話題にしたが、当店には「ブロッコリー」が何時でもある。
確か、少々「古く」「怪しい」ヤツが、あったはず。
これを、ただ入れるんじゃ芸が無いので、
「フードプロセッサー」で、粉砕して入れる事に。
「イメージ」は、「ほうれん草カレー」の緑色だったが、これが、見事に外れ。

「ブロッコリー」は見た目「緑」だが、中身は「白」が主体。
「緑」のツブツブが、「ゴミ」の様に漂っているだけで、
「カレー」を「緑色」に染めることはなかった。
その上、「火」を入れりゃあ「緑色」も飛んでしまう。
何だか、面白くも何とも無い物になったしまった。
まあ、こんな日もあるわい。


ところで、「Branston Pickle 」ってご存知か?
イギリスのビン詰めになった製品。我が兄弟の「旅行土産」にもらった。

これは「ウスターソース」漬けの様な、「甘酸っぱい」ピクルスで、
正体不明に、粉砕された「何か野菜」が入っている。
普通に、イギリスのスーパーで売っている物だそうで、
どう見ても「庶民」の食い物の様だ。
イギリスでは、「サンドイッチ」等にするようだが、
その「甘酸っぱい」味が、驚く程「カレー」の薬味に良かった。

即「web」で調べたが、日本への輸入は、少ないらしい。
あっても、一本「1800円!」もする。現地では「2~300円」位なもんだろうけど。

別に、ここで「外国カブレ」を自慢したいんじゃない。
「庶民の味」の、「奥の深さの一端」を感じたって事を言いたいだけ。
「Branston Pickle」なんて、知りもしない。
「世界のスーパー」に行けば、まだまだ「宝の山」は見られるって事だろう。

行ってみたい!

newport宮木英貴


2012年10月22日月曜日

10/21日曜 雑煮


「もういくつ寝るとお正月」ってなもんだ。
もう、2ヶ月ちょいもすると「お正月」だ。
ついこの間、今年の正月を過ごした気がするし、
なんとまあ、「月日」のスピードの早い事。
身体は、まだ、9月の「猛暑」の日々に馴染んだっきりで、
ここのとこの「寒さ」に追いつけないでいる。


先日、某安売りスーパーで、
あまりの安さにつられて「袋餅」を買ってしまった。
買った時は「アドレナリン」が吹き出ていて、気が付かなかったが、
「買った」物は、消費せにゃならぬ。食わにゃならぬ。
「袋餅」は、「餅」じゃあ無いのを忘れていた。

話しは飛ぶが、
某パン屋主人の言、
「あんな"麩"みたいなバゲット、どこが美味いんでしょうね?」
「麩」とは、けだし名言。
メーカーは、あえて言わぬが、スーパーに売っている「大量生産バゲット」は、
まさしく「麩」以外の何物でもない。
スープに浮かせりゃ、溶けて無くなる。

「バゲット」に限らずも、
「食パン」だって、どうしてあんなに「柔らかいの?」ってな塩梅。
握り潰せば、一斤だって、一握りになりそう。
ついでに言うと、何日放っておいても、
「柔らかい」ままだし、「カビ」も生えない。

「袋餅」は、「カビ」については、「真空包装」で守られているとしても、
「汁」で煮ると、「アッ」て間に「柔らかく」なるし、
「アッ」て間に、溶けてしまう。
焼いたって、「焦げ」が付く前に、膨らんできちゃって、
白いまんま、となりの「餅」と一体になっちまう。
焼けた「餅」の中を覗けば、まさに「麩」の有様だ。

それら、「素性」の悪い「餅」やら「パン」やらは、
一体ぜんたい、「何が入って」「どうやって」作った物やら。
悪い「薬漬け」にでもなってルンじゃあ無いかと、心配だーね。

「ヤバい薬」で丸め込んでおいて、
「水」やら「空気」で、文字通り「水増し」して、 目を眩ます。
なんて「ヤクザ」な商売だ。

好きな「鶏ごぼう味」の「雑煮」で、
騙し騙し食う訳さね。

newport宮木英貴




2012年10月21日日曜日

10/20土曜 大根菜っ葉の蕎麦

「大根菜っ葉」を軽く塩漬けにしておいて、細かく刻んで、
適宜、しょう油等を混ぜ込む。
これを、メシの上にでも乗っけた日にゃあ、べらぼうに美味い。
「納豆」何ぞを、お供にすると、声も出ない。

「大根菜っ葉」は、「薄味」にしといて、「山」の様に乗っける。
圧倒的「シャリ」っていう歯応えの隙間から、
「モチ」っていう「米の飯」の歯応えが、顔を出す。
あー、応えらんないね。


先日、同級生「E司」君が「大根菜っ葉」を多量に運んでくれた。
忍路の「田口農園」で採れたやつだ。
もう秋、「畑」もそろそろ終り、後片付けの、戦利品ってところか。
嬉しく、ありがたいこっちゃ。

その「大根菜っ葉」。
見事に、美しい程に、葉っぱにツブツブ穴が空いている。
「畑」からの直送なだけに、「土」が付いてる。
良く見ると、「ナメクジ」の類がいっぱい。
これぞ、「無農薬」の証。
「虫も食わない物を、人間が食うのはどうよ!」ってとこ。

「葉っぱの穴」何ぞは、漬けて、刻んでしまえば分かる訳がない。
「土」やら「虫」は、洗えば取れる。
よしんば、小さい「虫」が残っていたとしても、
「漬物」を食う頃には、間違いなく死んでいるし、刻んじまえば分かりゃしない。
ってのは「冗談」にしてもだ。

忍路の農産物直売所「水車の会」で、野菜を買ったお客様から、
「虫がついている。土が付いている。って苦情の電話がくる。
そりゃ、畑で、真面目に作った証だろ。」
以前、同級生、「田口農園」の「田口」君が、憤っていた事を思い出す。

閑話休題

「大根菜っ葉」は、変色した葉っぱを取り、それこそ、良く洗う。
軽く、沸騰したお湯に通して、また、良く洗う。
軽く湯通しすると、「茎」のバリバリし過ぎる感じを防げるし、
早く「漬かる」、し、取り回しも楽になる。
「昆布」「しょうが」「とんがらし」をご一緒に、
以前は「3%」の塩で漬けていたが、若干塩辛いので、
今は「2%」の塩で漬けている。
塩が少ない分、「足」も早くなるが、ま、しょうがない。

今回は、「大根おろし」も添えて、「蕎麦」にアレンジしてみた。
ちょい、箸にかかりにくくて「食い辛い」が、まあまあ、美味い。

てな塩梅。
「E司」君ありがとう。
「田口さん」来年もよろしく。

newport宮木英貴



2012年10月20日土曜日

10/19金曜 炸醤麺


先日、深夜、コンビニの「炸醤麺(ジャージャン麺)」を食った。
流石、最近のコンビニらしく、ちゃんと美味い。
「賞味期限」が有るとは言え、
作ってから、食うまでの時間が、予測出来ない「料理」なのに、
ちゃんと、そこそこ「美味い」んだから恐れいる。

ま、そんな事を考えながら食っていると、
「ムクムク」と、「負けん気」やら「やる気」やら、
「前向き系」の「気」が、湧いてきた。
「コレなら、俺でも作れる。作っちゃる。」てな塩梅。
微妙な「味」に、「好奇心」が刺激された結果、そんな事になる。

多分、コンビニの「ヤツ」の味付けの「キモ」は、
「甜麺醤」の甘さと、「豆板醤」の辛味、「塩分」は「しょう油」と見た。
じゃあ、家のは、甘みは「野菜」、辛味は同じく「豆板醤」、
「花山椒」を加えて「麻味=しびれ味」も演出。
「塩分」は「豆豉」で、「香り」に「香菜」と、大まかな作戦は決まる。


時々、自分以外の人が作った物を食べていると、
無性に、その「作り方」が知りたくなる。
今時は「web」が、かなりなところ「熟成」、「成熟」しているので、
知りたい情報に、手が届くことは多い。

「作り方」が分かると、今度は「作り」たくなるのは当然のこと。
条件さえ整えば、作っちゃう訳だ。

そんな「業」が「ムクムク」した、数日でした。

当然の事、「自家制 炸醤麺」は美味かった。
「コンビニのヤツより美味い」とは、あえて言わない。

newport宮木英貴



2012年10月19日金曜日

10/18木曜 炒飯


残った「米の飯」を、セッセと冷凍庫に貯めて、良い量になったら「炒飯」。
「賄い」のパターンとしては、そんなところ。

ほとんどの「日本人」は、そうだと思うが、子供の頃から、
「米、一粒作るんだって一年かかるんだよ。」とか、
「お百姓さんに、申し訳ない。」とか、
「もったいない」「罰が当たる」「目が潰れる」とか、
色々理屈を付けて「ご飯は、最後の一粒まで食べなさい。」
と、言われて育っている。

我が家は、年寄りが「おさんどん」だったせいか、
その度合いが凄まじかった気がする。
なんせ、メシ茶碗にへばりついて、米の体を成していない「潰れたメシ」を、
お茶を入れて、掻き落として食べさせられたものだ。

ま、ついでに言うと、「付けられた物は全部食え。」とか、
「箸を付けた物は、何が何でも残すな。」とかとも言われた。

おかげで、「食べ物」を残すのが、苦手だ。
知人宅での宴会でも、目の前の料理を、
「身の程」も考えず、あらん限り食い続けてしまう。
食習慣の違う海外での一コマ。
あるクリスマスの食卓で「与えられた料理」、
これがまた「飽きる」程デカイのだが、
「死ぬ気」で全部食ったら、「もう一個食え。」と言われた。
それも、どうやら「完食」したら、「そんなに腹減っているのか?」と言われた。
簡単な事だ、「残しゃあ良いんだ。」と、初めて気が付いた。

こちとらも良い歳の「大人」になった。
「食物」の量の「調整」「制限」も切実だ。
食いたいだけ、食っていたら、「体重」は勿論だが、
多方面に渡って、健康上に問題が出て来る。
何たって、ちょっとの「食い過ぎ」でも、すぐ胃がモタれる。

だからこそ、今、「残す」勇気が必要だ。
「もったいない」なんて言っていると、「自身」「肉体」に跳ね返る。
そう自分に言い聞かせている毎日だ。

「炒飯」とは違う方向に話が進んだのは、ご愛嬌って事で…。

「あー、レタスと中華のソーセージが入った炒飯が食いたい。」
何ぞと思いつつ、「賄い炒飯」を食うのでした。
少ーし、盛りが多かった。ちゃんと残しましたとさ。


newport宮木英貴



2012年10月18日木曜日

10/17木曜 「ごぼうのかき揚げもどき」蕎麦


「ごぼう」の、その繊維の硬い「歯ごたえ」が好きだ。
その土臭い「香り」も好きだ。

我が家の、正月の「雑煮」は、「ごぼう」に「鶏」の出汁。
そんなんで、「我が家の雑煮」が好きだし、「出汁」はもっと好き。
一年中、気が向きゃ食べるし、
「モチ」の代わりに「蕎麦」を入れても食べる。

家の嫁も、「ごぼう」は大好物の様で、
なんの抵抗も無く、思った時、思う存分「賄い」に「ごぼう」は使える。


「ごぼう」を「出汁」で煮た、
「ごぼうの香り」が隅々まで行渡った「汁」も良いが、
「ごぼう」の「かき揚げ」も、かなり「好き」だ。
「天ぷら」が食べたい時は、スーパーで「ごぼうのかき揚げ」をまず探す。

が、だ、寄る年波。
「天ぷら」等、揚げ物はどうも、「胃」の辺りで引っかかる。
嫁も「油っ濃い」ものは、どうも「苦手の度」が増しているようだ。

だが、「俺は、ごぼうのかき揚げが食いたいんだ!」

で、「焼き付けて」作る「かき揚げ」を考えた。
「具」が「ごぼう」「人参」だけの、「小麦粉」のネタが少ない、
「お好み焼き」みたいなのを、「カリ」っとするまで「焼く」という魂胆だ。
「片栗粉」は、より「カリ」っとさせるので、1/3位混ぜてもみた。

「ごぼう」を「オリーブオイル」で炒めておいて、先の「ネタ」とまぜる。
「ごぼう」が「やっとこさ」混ざる、「分量」「硬さ」がポイント。
こいつを、フライパンに良く伸ばして、焼き付ける訳だ。
「強い火」だと、表面ばかり焦げるので、「弱火」が良いかと……。

「細工は粒々」、「仕上げ」もバッチリ。
あまりに「いい感じ」だったんで、「香り」付けに「ごま油」を振ったんだが、
こいつが、ちょい「余計」だった様で、
若干「油っ濃い」仕上がりになってしまった。

こいつを、「キノコ」いっぱいの「蕎麦」に乗っけたと言う「ご趣向」。
ま、大まかには「良好」でありました。
「次」が期待出来ます。

newport宮木英貴


2012年10月17日水曜日

10/16火曜 懐かしミートソース


何が「懐かしい」って、先ずはそのスタイル。
付けたとしても「塩コショウ」だけの味で、ただ炒めた「スパゲッティ」に、
「ミートソース」を、乗っけただけ。決して、混ぜたりなんかしない。
「鉄板」にでも盛りつけりゃ、いっそう完璧だったが。

けど、もっと懐かしいのは、そのソースの味だ。
秘密は「缶詰」の「ミートソース」ってこと。
かつて、某喫茶店で食した「ミートソース」は、「缶詰」だったと思われる。
微妙に「金クサイ」感じも、「懐かしさ」をそそる。

今でこそ「冷凍食品」「レトルト食品」の「種類」「量」は、
「家庭用」「業務用」に限らず、天井知らず。
それらメーカーの商品カタログを見ると、
「こんな物まであるのか!」と、驚く事しきり。
それら商品を、上手い事組み合わせれば、店の一つや二つは簡単に出来ちゃう。

けど、当時は「缶詰」だったろうな……。

先日、某所から「10年前に賞味期限切れ」の、
家庭用「ミートソース缶」が、転がり出てきた。
自分の名誉のために言っておくが、
決して「某所」は「我が家」でも「当店」でも無い。
物の管理は、ちゃんとしているつもり。ご安心を。

で、その缶詰、素直に捨てりゃあ良いものを、
「そのうち、開けるだけ開けてみるか。」となるのは、いわば「業」。
捨てないで取って置いて、その「そのうち」が、昨日となった訳。

開けた匂いはOK、流石にそのまま舐めるのは気が引けたので、
鍋に移して、「火」を入れてみた。
これが、何でもない。「科学」の勝利、「缶詰」は立派だ。
で、「本日の賄い」となったのでした。

味は、そう!あの頃の味。
見ると「ミートソース」なのに「ミートはどこ?」ってな位、
「肉」のカケラもない。その「佇まい」からしても、懐かしい。
「味」は濃いし、「何入っているやら」感は全開。
「身体」に悪そうな「色」「ツヤ」も、「懐かしさ」を醸す。

そんなこんなで、「懐かしのミートソース」のタイトルになったのでした。
やっぱり、大量の「粉チーズ」と「タバスコ」は付き物。
いっとき、時空を超えたのでした。

追記。
一日たっても、体調に変化なし。
「賞味期限」の「いい加減さ」も、身を持って証明した事になる。

newport宮木英貴



2012年10月16日火曜日

10/14日曜 ミントたっぷりグリーンカレー


「グリーンカレー」そのものの「レシピ」何ぞは知らない。
好奇心は、ムクムクしているけど……。

「食材屋」に行きゃあ、本番輸入の「ペースト」は手にはいるし、
何なら、「スーパー」等で、「レトルト」やら「缶詰」が売っている。
それで良い事にしておく。体は一つだ。

さて、そこらにある野菜と、鶏肉を「ココナッツオイル」で炒めておいて、
箱入り「グリーンカレー」を投入。これでも充分に美味い。
そこに「ミント」を大量に放り込んでみた。
「ミント」は、当店玄関脇に大量に生えている。

「ミント」は、「お菓子」「飲み物」に良く使われるが、
「ベトナム料理」の「生春巻き」等にも入れる。
つまりは、「東南アジア」風に演出にも使えると思い、
先日、普通の「カレー」に入れてみたら、
「香り」が「一つ」プラスされて、凄ーく美味かった。
これが、今回の「グリーンカレー」への応用の発想ネタ。

入れた「ミント」の量は、それこそ大量、「ほうれん草」の「ひと束」程。
中途半端の量じゃあ、「試す」には用が足りない。
嫌みに感じる寸前まで入れてみないと、その効果は実感できない。

彼の地「ベネズエラ」の八百屋では、
「ミント」「バジル」は、ほうれん草の束の「何倍」の大きさで売っている。
その売り場に近づくと、「ミント」と「バジル」の混じった匂いが目に染みる程。

ある日、「バジル」の「色、ツヤ、量、新鮮さ」があんまり素晴らしいので、
使い道も考えないで、思わず買っちまった事がある。
結局どうにもできないで、「おひたし」にしてみた。
「しょう油」と「かつお節」で食べたが、
「南国」の強烈な太陽の下、香り高く、ノビノビ育った「バジル」だ。
これはダメだった。分量が行き過ぎた一例だ。

何が言いたいかっていうと、
「スーパー」で売ってる「ハーブ」は、
その効果が身に染みるには、
あまりに「量、育ち」が「ヘナチョコ」だって言う事。

あれじゃあ「ハーブ」の魅力は解らんわ。

newport宮木英貴



2012年10月14日日曜日

10/13土曜 鮭のムニエル

「鮭のムニエル」だなんて、そうとう「直球」過ぎて照れる。

珍しく、凄ーく、「洋食屋さん」っぽい「賄い」になってしまった。
「頂き物の鮭」があったにせよ、どうも「ガラ」じゃない。
長年、身に付いた「何か」が時折顔を出す。

「ムニエル」たぁ、簡単に言うと、
魚に「塩コショウ」して、「小麦粉」付けて、「バター」で焼いた物。
「~ ア ラ ムニエール」と言うと、「粉屋のおかみさん風」とか言う事になる。
ただ「バター焼き」でも良いんだけど、焼き上った食感としては、
「粉」を付けた「カリっ」ていう感じが欲しい訳で、
その「粉の感じが料理名で伝わらないと」と思うと、
「ムニエル」以外、他に言い方が思い付かない訳だ。

ついでに、ソースまでも用意。
トマト煮詰めて、赤ワインを入れて、「魚」に合う「酸味」「甘み」を作って、
香りが「魚」に効く「コリアンダー」の葉っぱがあったから、ドバッと投入。
演出は見事にはまる。

まあ、いつもの「キャベツの千切り」を食う、「アテ」を、
「肉」じゃあ無くて、たまにゃ「魚」も良かろうってところだったのだが。


「賄い」にしても「売り物」にしても
最近、どうやら「直球」勝負の傾向がある。
真っ直ぐ投げた方が、「お客様」も受けやすいかな?とも思うし。

「ひねったり」「回転を効かせ」たりするのに、「疲れた」「飽きた」のかも。
人間が「まるーく」なったのか、ただの「老化」かは定かでは無いが……。


newport宮木英貴


2012年10月13日土曜日

10/12金曜 色々乗ったぶっかけ蕎麦


「不味くて食えない」なんて言う事は、ほとんどない。
「メシ」を作るのが「仕事」なもんで、
「メシ」の作り手の「葛藤」「気持ち」が伝わってくるからだ。

外食が重なると、「自分で作ったメシ」が食いたくなる。
同じ位、「家のメシ」も食いたくなる。
「家の飯」は、ノロける訳じゃあないが、奥様が「俺」のために用意した飯だ。
つまり「何か気持ち」が乗っていると言う事。
「あれが、こう」とか「それが、あれ」とか、注文じみた事は、まず言わない。
そんな物が、「不味い」訳ないからだ。

「友人宅」「知人宅」でご馳走になる「メシ」だって、
「客人をもてなす」ために、
「客人」の事を考えて、わざわざ用意した「メシ」だ。
やっぱり「何かの気持ち」が乗っている。
そんな物が、「不味い」訳ない。

続けば嫌になる「外食」だって、
「材料の選択」「調理法の選択」「盛り付け」「店の雰囲気」………etc.。
それらを「お金」に変えて、「店」の生活が成り立っているとしても、
「お客様をもてなす」気持ちが乗っかている。
やっぱり「不味い」訳ない。

ま、そんなに「不味い訳ない」を連発できるのは、
「ある一定以上のレベル」の「味」であることが条件だが、
「レベル以下」の「味」なんてそう簡単にはない。
「あの店、不味いよー」なんて聞くと、
「興味」が湧いちゃって、食いに行きたくなる位だ。


しかしだ。「ムカつく」料理はある。
「気持ち」が感じられない、伝わらない「料理」だ。

「あっちの物を、こっちに移しただけ。」とか、
「よそ見して盛ったべ。」とか…………。
ま、「ファミレス」「ファーストフード」等に多く見受けられる
「マニュアル言語」も、けっこう気分が悪い。
あちこちで「爆発」している。おかげで、行けない「店」も沢山ある。
小樽の某、老舗大型店も相当なもんだった……。

やっぱり「自分で作ったメシ」「家のメシ」が良い。

ちょいと気分的に「ダレダレ」で、今回、「賄い」を嫁に委ねた。
そしたら、俺の好きな物ばっか乗っかった、好物の「そば」を作ってくれた。

「美味い」に決まってんだろ!

newport宮木英貴




2012年10月12日金曜日

10/11木曜 冷やし中華


「全冷中」なる団体所属ならいざ知らず、
一般的には、多分、今シーズン最後に近い「冷やし中華」。
結構、食ってて「寒い」。
ま、冬場にストーブにかじり付いての「冷やし中華」も捨てがたいが…。

さて、
「冷やし中華」に添え物の「紅生姜」。
「これが無きゃ食わない」なんて、御仁もいらっしゃるほど。
ま「酸味」と「辛味」が、「ピリッ」と確かに良い。
目にも「毒々しい」程「赤」くて、
「きゅうり」の緑、「錦糸卵」の黄色と、嫌が上にも強烈な「コントラスト」だ。

余りに「赤」くて、個人的にはイライラする。
そもそもは、「シソ」の入った「梅酢」で漬けたんだそうだ。
きっと、淡い色合いが「和ませる」だろう。
何か「赤」に、「おめでたい」とか理由があるのかと思ったが、
安く製造するため「食紅」を使っただけのようで、
よっぽど「コスト」が低いのか、「赤」さ加減がエスカレートした物と思われる。

ベタ甘い、いわゆる「ソース」で味付けた、
「焼きそば」「たこ焼き」「お好み焼き」etc.に、
大人の「アクセント」を加えるには、安上がりってこった。
「チャーハン」「あんかけ焼きそば」等、庶民派の「中華料理」にも付き物だ。
あちこちで、存在を主張している。

何も「紅生姜」を悪く言いたい訳じゃあない。
そこまで「赤」くなくても、「イイじゃん」って言いたいだけ。

newport宮木英貴



2012年10月11日木曜日

10/10水曜 ブロッコリーのパスタ〜「胃瘻」について


「ブロッコリー」は、当店では「常備菜」。
「常備」しているから、ちょっとの加減で「常時」余る。
「常時」余っているから、「しょっ中」食わねばならぬ。
「しょっ中」食っているから、「ブログ」ネタは尽きている。

ちゅう事で、「ブロッコリー」とは全く関係ないが、
最近気になった「胃瘻」って事について少々……。

皆様、「胃瘻」をご存知か?
簡単に言うと、「胃瘻」とは、「食物」を口から食べられない人のために、
「口」「食道」を通さず、
腹から「チューブ」で、直接「胃」に「栄養分」「水分」を送り込む事。

そもそもは、「食道」に問題がある人のために始められた処置との事。
が、近年は「食物」を飲み込めなくなった、
「寝たきり」の「年寄り」にも、施される場合がある。

「年寄り」は、
「食物」が「気官」に間違えて入って、「肺炎」「感染症」を起こしやすく、
それは「死因」としてもトップクラスだ。
そのリスクを回避するためにも施される。
ついでに言うと、「気管切開」もそのために行わられるそうだ。

先日、「喉」「腹」に「チューブ」が入った「ババァ」5人が、
ズラッと並んで、寝ておられる光景を目にした。
側に「コンピューターのモニター」があり、
「チューブ」「電線」が多数、体に巻き付いている。
もう「異様」、「近未来映画の1シーン」みたいだった。


「胃瘻」について「ネット」検索をすると、
かなり「シビア」な記事が、目白押し、ある意味「社会問題」の一つだ。

が、ここで「胃瘻」についての「賛否」を唱える気はない。
ただ一つ、「食物を扱う人間」として思うことはある。
「美味しく無いじゃん」って事。

もし人間が「食物」を口から取る、つまり「食えなくなった」ら、
「胃瘻」って方法だけじゃなくたって、
「鼻から胃に栄養分を流し込む。」「点滴で栄養分を流し込む。」
なんて方法もある。

けど、
それらどの方法も「口に入れて」「噛んで」「飲み込んで」いないんだから、
「味わって無い」んだから、「美味しく無い」じゃない。

こちとら「美味しい物」を作るのが、仕事だ。
「生きるため」の処置かも知れないが、
何か「全否定」されている気もする。


ま、個人的にも「胃瘻」なんて目には合いたくないし。
「尊厳」ある「死」についての事、「死に方」ついての事、
つらつら考える今日この頃だ。

時間があったら、「胃瘻」についてのサイトを、
是非、見てみる事をお薦めする。

重いテーマですんません。

newport宮木英貴



2012年10月7日日曜日

10/6土曜 「落葉」の味噌汁、「イクラのしょう油漬けご飯」と一緒


前回の予告通り「落葉」の味噌汁、
と、ご飯に「イクラのしょう油漬け」。
あー!秋の味覚。
なんと、至福の時。
好きな「キノコ」と、好きな「魚卵」。「好物」に「好物」。
「至福」と言わずになんと言う。

「キノコ」の味噌汁には、「大根おろし」が子供の頃からの、我が家のお約束。
「落葉」にも、例外ではない。これがまた「好き」。
「好物」を「好き」なスタイルに仕立てるのも、至福。

言葉はいらない。
幸せーな気分で「賄い」でありまする。

newport宮木英貴


2012年10月6日土曜日

10/5金曜 キノコのクリームパスタ


「キノコ」と「海藻」が好物だ。
特に「キノコ」は、ほぼ毎日食べている。
「朝の味噌汁」「賄いの何か」どこかに必ず入っている。
「キノコ」「海藻」の「低カロリー」「ミネラル」を期待して、
それらは「健康食品」化している「きらい」があるが、
そんな理由じゃなく、真底「好物」だ。

話は飛ぶが、
「山」は、「銀座」と化している。
足腰が健全な「年寄り」が大挙して、「春」「秋」山に入っている。
「年金」暮らしの、食卓を飾るため、
山の「宝物」、「山菜」「キノコ」を根こそぎ行く。なんたって「タダ」だ。
その上早い者勝ちだ、彼らはその「早起き」である習性を生かして、
若者が寝ている、暗いうちから出撃する。

おかげで、山のあらゆる「林」は踏み固められる。

そして、ここ数年、人類の「罪と罰」、「異常気象」が猛威を振るう。
微妙な「気温変化」「水分量」に呼応して出て来る、
「山のキノコ」達は、出るに出られずにいる。
その上、「繊細」な彼らが「さーて、出るかい」と思った時は、
「林」は踏み固められている。

おかげで、「キノコ」中の「キノコ」、「好物」の中の「好物」、
「落葉」が食えなくなった。食う機会が、目に見えて減った。
自分で行ける「林」には、もう「無い」。
「売り物」の値段は、そりゃあ「うなぎ上り」だ。
「年寄り」を悪く言う気は、毛頭無いが、
「落葉」の一点のみ、「恨む」「疎ましい」。

まーーーー、
決して、彼らのみが悪い訳じゃあ無いだろうが、
ここでは、誰かを「悪者」にして攻撃しときゃなきゃ、気が収まらない。
すんません。


「キノコのクリームパスタ」が「秋のメニュー」に組み込まれる。
当店にしては、超が付く「直球勝負」だ。
本当の事を言うと、「落葉」を使って「変化球勝負」、
「秋」を演出したいところなんだが、何せ「落葉」は品薄。
今年の9月の高温と、昨今の「山」の状況から、
本年度は、「落葉」は、顔も見れない物と思っていた。

ら、なんと、昨日「手宮某所」で売っていた。
割にこんもりの山で、一皿「1000円」。思わず買ってしまった。
「何処で採ったの?」。「ニセコ」。
「はー、やっぱりかい」てなもん、地物では無い。

「秋メニュー」の「キノコのクリームパスタ」はすでに決定している。
「落葉」は、お客様の「口」には入らぬが、今日、我が「口」には入る。

ワーイ!

newport宮木英貴



2012年10月5日金曜日

10/4木曜 香菜を乗っけた「三平汁」


「魚」は自分で下ろせば、「おまけ」も多い。
「手間」なり「暇」をかければ、捨てる部分はそれだけ減るし、
「酒のあて」「飯のあて」は充実する事になる。

けど、
特に最近、自分で「魚」を下ろすことから避けている。
「ウロコ」は、いくら「注意」「工夫」しても飛び散る。
「魚」「道具」を洗った水も飛び散る。
こいつらが、キッチンの「隅の隅」に入って臭くなる。
いくら「手間」だ「暇」だ「工夫」だと言ったって、「体」「時間」には限界があって、少なからず「生ごみ」が出て臭くなる。
「キッチン」の作りが、そういった事に対応してない。
etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.…………。

ま、早い話が「やらない」言い訳で、全く「後ろ向き」って事。
「根性」が無くなっちゃって、「向かう」発想が面倒。
若い時みたいに、「俺は魚がいじれる」と「自己顕示」する元気も無いし、
「魚がいじれる」事を「自慢」に、包丁振り回す程「素人」でもない。

第一、「スーパー」行けば、100%とは言えないが、
そこそこに「用意」された、切り身の魚が売っている。
「下手」な包丁塩梅は、「楽する事」に目がくらんで見えないし。

ところが、
先日、丸まんまの「鮭」を貰って、自ら下ろすことになった。
これが、案外、内から湧き出る物がある。なんだ、「やる気」だ。
「腹」を割くと、「やる気」を増幅させる「イクラ」が顔を出す。
もー「ルンルン!」。全く現金だ。
結局、「内臓」「エラ」だけは「手間」の「かけ渋り」をしたが、
後の全ての「部位」は、「ゴミ」とはならず、口に入る事になった。

その一部が、今日の「三平汁」になったと言う事。
「香菜」山盛りで、「我が家」好みになっております。


「魚」を下ろすのは「面倒」だけど、「嫌い」じゃあない。

今時は「寿司屋」でさえ、「サク」になった「魚」を仕入れる所もあるそうな。
大きい店が「大量生産、大量販売」を目指すにゃ、
「手間」「暇」かけてちゃあ、「割」に合わないだろうから、
「しょうがない」と言っちゃあ、「しょうがない」が。

「魚の顔を知らないってのも、どうよ。」
なんぞと、すっかり「根性」が萎えてるくせに「おじさん」は思ったりもする。

newport宮木英貴




2012年10月4日木曜日

10/3水曜 ポークチャップ


「ポークチャップ」の添え物が「キャベツの千切り」じゃあ無くて、
「キャベツの千切り」の添え物が「ポークチャップ」ってな位、
「キャベツの千切り」を山の様に食う。とにかく好き。

「キャベツの千切り」を、「肉の旨味」」で食うイメージ。
ある意味「肉の尊厳」を、おとしめているかも知れない。

今回は「豚肉」を、その辺に転がってた「野菜」と共に、
「ケチャップ」「赤ワイン」何ぞで、一晩漬け込んで見た。
「若干、肉が締まってた感」があったが、それもまた良し、
「味」も染みていて、それはそれ、美味かった。

「ポークチャップ」の「味の定義」何ぞは知らないので、
これを「ポークチャップ」と呼んでいいものかは分からないが。
この先、話題を変えるので、後で検索ちゅう事で……。

どう変えるかっていうと、「豪華」って事について……。

我が家の奥様は、「厚切り豚ロース」を焼いた料理を、
「ナイフとフォークのお肉」と、幼少のみぎり呼んでいたそうな。
「特別」な日「一枚」ドデンと皿に乗っかて、
食べるのは「ナイフとフォーク」、ついでに「ワイン」も付いたんだそうな。

幼少時の我が家も、「厚切り豚ロース」は「ご馳走」だった。
「ウスターソース」何ぞをかけて、それこそ「ウットリ」食べたものだ。
付け合わせは「キャベツの千切り」。その時は「何が美味い」と思っていたが。

しかしだ、
何と言っても「豪華」な食事と言えば、「骨の付いた肉」は外せない。
「トムとジェリー」における「ご馳走」シーンは、
必ず、大きな皿に、大きな「骨の付いた肉」。
「園山俊二、はじめ人間ゴン」における「争いの火種」は、
輪切りで、真ん中に骨がそびえていた「肉」だ。

今でも「丸焼き」「骨つき」「固まり」の「肉」というと、
一瞬、脳みそがとろけるのはどうしてだろう。

我々一般家庭における、「骨つき」「豪華」は「鶏肉」位なもんだった。
中でも「鶏もも」はブッチギリだ。
そんなこんなで、某所「若鶏半身揚げ」は爆発する。

鶏の「手羽」の付け根に、一本骨の入った小さな部位、「手羽元」がある。
「ゴン」ファミリーが片手で骨を持って、かぶり付いている肉に、
形的には、凄ーく似ている。けど、大きさは1/100だ。
たまに、当店で「お通し」に使う事がある。
それを見て「おー!豪華じゃん!」と嬉々とした反応した人がいる。

あーあ!愛おしき「貧しさ」だ。


ちなみに、去年の「豚ももの丸焼き」を覚えている方はいらっしゃいます?
なんか「今年もやりたいなー」とムクムクしております。

newport宮木英貴


2012年10月3日水曜日

10/2火曜 「そい」の甘酢あんかけ「焼きそば」


そもそも「小樽名物 あんかけ焼きそば」には、どうも批判的だ。

子供の頃、「静屋通り裏 梅月」には、お袋に連れられて、確かに行った。
確かに「美味しいよねー」と言いながら食べた。
当店「賄い」の定番の一つでもあるし。

けどもだ。
「料理」を生業にする「身」としては、「小樽名物」と言うには「んー?!」だ。
「何か」をとにかくやって、「街」を元気付けたい!
って気持ちは、凄ーく良く分かる。が。

数年前、我が友人「T」が、
「人に紹介されて、行って来たんだけどよ、
美味い事は美味かったけど、
"あんかけ焼きそば"の味って、何処で食ってもあんなもんだよなー。」
と言ったのが、思いを確たるものにした。

そう!

元から美味い「肉」「魚介」「野菜」と、沢山の具材を炒めて、
炒めた「香り」を足して、
「美味しい」味がする「出汁」で煮て、
「あん」でとじて、麺に余計に味が絡む様になっている。
「あんかけ焼きそば」の「味」の構造はそうなっている。
つまり、早い話が、誰が作っても「美味しい」のよ。
家庭でも簡単に、「美味しく」作れるのよ。

じゃあ、「小樽」らしい「何か」を足すとか、
例えば「具」は「肉」を入れないで、「魚介」だけにするとか。
etc.etc.etc.etc.
そう!面白味にかけるんだ。
「何か」縛りが無くちゃあね。


で、今日の「賄い」。例えばこんなんはいかがでしょ?
「ソイの丸揚げ」を甘酢あんかけにして、「焼きそば」に添えました。
今回は、「麺」と「あん」を別盛りにしたけど、当然、一緒にしてもOK。

「ソイ」は、「尾頭付き付き」にすりゃ、もっと良いけど、
「頭」を、食べられる程に「カリカリ」にするのは大変だから、今回は割愛。
「ソイ」じゃあ、なくたって良いけど、
「ホッケ」とかより、「姿揚げ」にしてカッコいいかな?と思いまして。

これだと、見た目も豪華!
「見た目」重視の下品さ加減が、「B」級の趣旨にも合おうってもの。
いかがでヤンしょ?
ただし、「魚の骨」を取りながら食うのは凄く面倒。
忙しい「昼飯」には、ちょい無理かな。

今思いついたけど、小樽産「あおやぎ」なんか使ったらどうよ。

newport宮木英貴



2012年10月2日火曜日

9/30日曜 「ブリ」トマトのパスタ


そう言や、「ブリ」を使ったイタリアンのメニューは聞いた事がない。

調べてみると、いわゆる「ブリ」は太平洋の魚で、大西洋にはいない様だ。
海はつながっているんだから、似たような魚がいても良さそうなものだ。
「ベネズエラ」でも「鰯」「鰺」「マグロ」「鯛」をはじめとして、
「ボラ」「スズキ」「サバ」「ヒラメ」等、
そっくりそのままの「魚」が捕れていたが、「ブリ」はいなかった。
ついでに言うと「秋刀魚」「ニシン」もいなかったけど…。

きっと地中海の国「イタリア」でも、「ブリ」はいないに違いない。
「じゃあ俺が決めてやるぜ!」なんて「肩」に力が入るのは、
我が「天邪鬼」な性格の、成せる技。

「ブリ」は、「魚の臭み」が強いと言うか、「青魚」っぽい風味がある。
「トマト」「ニンニク」「とんがらし」「オリーブオイル」「ハーブ」……。
何てのを使って、そんな「ブリの悪癖」を、
良い方に「カバーする」「転化する」にが「目玉」だ。

例えば「ニンニク、とんがらし、オリーブオイル」で焼いといて、
「レモン」を絞っても美味そうだし、
「ハーブ」乗っけてローストってのもどうだ。

ところで、「トマト」ってのは偉い。
その「酸味」「甘味」「旨味」で、相当「ゴロつく」「暴れた」味でも丸め込む。
「欧州」伝来後、凄い勢いで、大陸に伝わって行ったのもうなずける。
てな事で、「トマト」の「酸味」「パンチ力」で「ブリ」を殺そうって事にした。

「ま、賄いだしパスタにでもするかい。」
「ニンニク、とんがらしで焼いといて………。」
「あんまり煮込むと、魚臭さが出るかな?」
「トマトも、あんまり煮ないで、新鮮な感じを残して……。」
etc.etc.…頭の中で「シュミレーション」するわけだ。

「さて!」と思ったところで、
「ぶり」を「トマト」で煮た、一人用「鍋料理」を、
「冬のメニュー」の中で、やっていた事があるのを、思い出した。
ガッカリだ。
まあ、そうそう「新しい」発想なんてのは無いもんだ。
別な事考えるのも面倒で、強行はしたが。

で、この「賄い」、
結果は「美味い」事は「美味かった」んだが、
「鰯」やら「サバ」やらでやっても、同じ様な結果だっただろう。

「ブリ」は「身」が大きい分「食いやすいかな?」。
他に材料無かったら、やろうかなー。
それ位かなー?何だかなー。

「肩」に力が入った割に、てんで、だらしない結果であります。

言っておくけど、十二分に「及第点」なんだよ。
俺は厳しいんだよ。

newport宮木英貴