「不味くて食えない」なんて言う事は、ほとんどない。
「メシ」を作るのが「仕事」なもんで、
「メシ」の作り手の「葛藤」「気持ち」が伝わってくるからだ。
外食が重なると、「自分で作ったメシ」が食いたくなる。
同じ位、「家のメシ」も食いたくなる。
「家の飯」は、ノロける訳じゃあないが、奥様が「俺」のために用意した飯だ。
つまり「何か気持ち」が乗っていると言う事。
「あれが、こう」とか「それが、あれ」とか、注文じみた事は、まず言わない。
そんな物が、「不味い」訳ないからだ。
「友人宅」「知人宅」でご馳走になる「メシ」だって、
「客人をもてなす」ために、
「客人」の事を考えて、わざわざ用意した「メシ」だ。
やっぱり「何かの気持ち」が乗っている。
そんな物が、「不味い」訳ない。
続けば嫌になる「外食」だって、
「材料の選択」「調理法の選択」「盛り付け」「店の雰囲気」………etc.。
それらを「お金」に変えて、「店」の生活が成り立っているとしても、
「お客様をもてなす」気持ちが乗っかている。
やっぱり「不味い」訳ない。
ま、そんなに「不味い訳ない」を連発できるのは、
「ある一定以上のレベル」の「味」であることが条件だが、
「レベル以下」の「味」なんてそう簡単にはない。
「あの店、不味いよー」なんて聞くと、
「興味」が湧いちゃって、食いに行きたくなる位だ。
しかしだ。「ムカつく」料理はある。
「気持ち」が感じられない、伝わらない「料理」だ。
「あっちの物を、こっちに移しただけ。」とか、
「よそ見して盛ったべ。」とか…………。
ま、「ファミレス」「ファーストフード」等に多く見受けられる
「マニュアル言語」も、けっこう気分が悪い。
あちこちで「爆発」している。おかげで、行けない「店」も沢山ある。
小樽の某、老舗大型店も相当なもんだった……。
やっぱり「自分で作ったメシ」「家のメシ」が良い。
ちょいと気分的に「ダレダレ」で、今回、「賄い」を嫁に委ねた。
そしたら、俺の好きな物ばっか乗っかった、好物の「そば」を作ってくれた。
「美味い」に決まってんだろ!
newport宮木英貴
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