2012年1月30日月曜日

1/29日曜 カップ麺

つい先日もだったが、こんな「メシ」の事もある。

今日は「朝」兼、「昼」の食事が、いつもよりちょっと遅れ、
かつ、都合があって外食、「回転寿司」でちょっと食い過ぎた。

最近は、嫌になるほどダラしなくて、
ちょいと食い過ぎると
「辛い」「動けない」なんてことに、直ぐなる。
ので、こんな食事で、バランスをとる事がある。

にしても「エースコック、わかめラーメン、ノンフライ麺」は、かなり昔からあるが、
当時は、麺が「あっさり」し過ぎて、食った気がしなくて嫌いだった。
あー!それなのに、
今は「美味いなー」「いいなー」「満足」「充分」と思って食っている。
こんな所にも、「歳」を重ねた自分がいる。
まー、当時より改良が加えられて、美味くもなっているんだろうが。

常日頃、「脂分」「塩分」「化学調味料」を、気にした事を言っている割に、
こういうものが、結構好き。
「大酒」が体に悪いのを知っていたって、
まるで本能の様に、飲んでしまうのと大して変わらない。



どこかのスーパーで、珍しい「カップ麺」を見つけると、
迷いもなく「かご」に入れてしまう。
嫁も文句も言わない。一緒に面白がっている。

小樽にはあまりないが、
「バッタ屋的スーパー」は、もうアミューズメントパーク。
「型落ち」「廃盤品」「ご当地商品」が、山になっている事がある。
もう、ウハウハ。
ついつい、十数個がかごの中に入る。

ま、一個、良いとこ¥100。
「ちっちゃな贅沢」ってとこ。
考えもなしに、「かご」に入れる事ができる「幸せ」は、そうはない。

かつて、フランスの世界的に有名な「シェフ」が来日時、
「若い料理人は、そう言った物を食べてる様じゃダメだ。」
なんぞとヌカしているのを、テレビで見た。
若くはないが、大きなお世話だ。

newport宮木英貴





2012年1月29日日曜日

1/28土曜 ペスカトーレ ロッソ


トマトベースの魚介のパスタ。
「エエカッコしい」で「イタリア語」で言っては見たところで、
冷蔵庫のスミの「イカ」やら「タコ」やらの切れっパシ、
パーティーで使った材料の残り物の「エビ」やら「鮭」、
あれやこれやを集めておいて、使ってしまいたいトマトと合わせただけ。

料理の名前…………、基本「どうでも良い」と思っている。
名前で味が変わるわけじゃなし、一皿は一皿。


店では、出来れば、メニューには出来るだけ解りやすく書く。

「トマトとモッツアレラチーズのサラダ」と書く。
「ハチの巣のトマト煮」と書く。
それでも「カプレーゼ」「トリッパ」とオーダーされるお客様はいる。
言いたいんだから、それで良い。

「知ってる!」って言いたいんだから、、おっしゃって頂く。
こっちも「知ってるね?」って顔すりゃ、双方満足。

時に、逆をやって「何?」って好奇心をくすぐるのに、
わざとに「ソパ デ  アホ」とか書く。「んー、アホ?」
「アホは、スペイン語でニンニクの事。ニンニク沢山のスープです」なんて言うと、
「じゃあ、それ。」てな塩梅。
「バカってスペイン語もありますよ。」なんて、会話も続く。


「肉」と「じゃがいも」が入った「カレー」を、
「肉じゃが!!」と「名前」を言い切れば、
「これが当家のスタイル!」と言い切れば、「肉じゃが」になる。

それで迷惑する人は、「イメージ」をぶち壊された人くらい。
「一般的」って事もあるが、「義務」じゃないし、
「イメージ」の世界で遊んでいる方が、「私的」には面白い。
言っておくが、これはあくまで、私的意見。

「あなた」にも適用しようってんじゃ無い。ご心配無く。


newport宮木英貴


2012年1月28日土曜日

1/27金曜 ドライカレー


「汚し飯」2日連続。

苦手だった「汚し飯」系を克服後、かえって「汚し飯」は好物。
丼物込みで、何日でも行ける。

まあ、克服ったって、それから約30年も経っちゃってるが、
かつては「炒飯」「混ぜご飯」「炊き込みご飯」「チラシ寿司」全部ダメ。
言っちゃなんだけど、「生寿司」もダメだったんだから。

幼稚園の頃、食ってた「海苔巻き」は、
普通の白いご飯を、ただ海苔で巻いたやつ。

なんてぇ事、今だに言ってるんだから、かなりのトラウマ。
「カミングアウト」を、結構楽しんでます。


で、「ドライカレー」だけど、何種類か考えられる。

1、いわゆる「カレー炒飯」。
2、「カレー」味の炊き込みご飯。つまりは、「カレーピラフ」。
3、特製「ドライカレーのソース」が、ご飯の上に乗っかったの。
この度は、1の「カレー炒飯」。

これら「ドライカレー」、そう言えば、実際に食べた記憶はあまり無い。
かつて「本で見た」とか、「TV」で見たとか……。
外で、どこかの店で、注文した記憶は無いし、
食べたとすれば、「冷凍食品」「社食」「賄い」くらいかな……?

つまりは、
我が頭の中で「想像」「熟成」された物。

正直言って、こう言うメニューは結構ある。
料理の「名前」だけを念頭に入れて、
その「料理」をでっち上げる事は「楽しい」し「ワクワク」する。
料理の名前は、付けた物勝ち、言い切れば良い。
「ドライカレー」を「ドライカレー」と言い切れば、「ドライカレー」になる。

「まあ、こんなところからオリジナリティは生まれて来るのよ!」
と、うそぶきつつも、
「こんなんで、いいのかな?」
とも、思う。

newport宮木英貴


2012年1月27日金曜日

1/26木曜 オムライス


基本、味はバラけているのが好き。同じ味が続くのは苦手。
例えば、「目玉焼き」は黄身と白身がバラけているから好き。
「卵焼き」は全部同じ味だから嫌い。

例えば、「白いご飯」」のオカズが、別皿で「カツの卵とじ」ならOK。
「カツ丼」になると、かなり無理。

そうなんで、「オムライス」は最悪の食べ物だった。
表は「卵焼き」、中は一緒くたに味付けられた「ケチャップご飯」。
デパートの食堂のサンプルを見たって、「なんじゃそら!」と思っていた。
昔は露骨にそうだった。
年齢とともに、必要に迫られるとともに、些細な好き嫌いは無くなったが。


味がバラけていると、それぞれ好きなバランスで食る事ができる。
ここがミソ。

いわゆる「口内調理」ってやつ。
「オカズ」と、「米の飯」のバランス。
「肉やら魚なんか」と、「ソース」の関係。
「焼きそば」と、「餡」の分量。

私の育ちは「母子家庭」、母方の親戚と一緒に生活していた。
で、その「家」の「おさんどん」は祖母がしていた。
彼女は明治生まれで、「男子、厨房に………。」のお方。
「インスタントラーメン」さえ、小中学校時は作った事は無かったし、
「カップ麺」にお湯を入れた事も無かった。
と言うより、ガス台の「火」の付け方も知らなかった。


そもそも、「なんか作る」事は子供の頃から大好きだったから、
もう、「インスタントラーメン」が作ってみたくて、みたくて。
で、テーブルの前で「口内調理」は自由だってんで、
いろんな「バランス」を楽しむ事を、覚えたような気がする。
ついでに言うと、同じ理由で、テーブルの上で、
自分で「しょう油」「ソース」をかけて食べる物も好きだった。



後に高校生になって「悪さ」をする様になり、親戚宅にいられなくなり……、
真の「母子家庭」生活が始まり、食生活も一変する。
「インスタントラーメン」どころか、
「味噌汁」はお手の物、
「カレー」「クリームシチュー」「ミートソース」……………。

で、現在に至る。
「抑圧」後の「爆発」は強烈。職業にまで影響している。

newport宮木英貴


2012年1月26日木曜日

1/25水曜 またも、雑煮。しかも「豆餅」仕様。


またも雑煮。
年末に頂いた「餅」が、まだ冷凍庫でうなっている。しかも「豆餅」だけ。

「豆餅」を前に、夫婦が協議。
「豆餅を、メシ、にするにはどうしたらいい?砂糖しょう油で食う?」
「雑煮。」
「豆餅にゃ、塩味付いてるだろ?」
「味薄く。」
わりに複雑な質問なはずなのに、帰ってくる答えは単純。
「豆餅」で「雑煮」は、無理がある気もするが、
考えるのも億劫なので、「雑煮」に決定。

しかし、「雑煮」とは良く言った物で、材料を集めて、切り出しさえ済めば、
「煮る」のに、若干の後先はあったにせよ、ざばざば煮るだけ。

しかも、考えてみれば、年末の定番家庭料理「お煮〆」の材料とほとんどかぶる。
「鶏」「ごぼう」「人参」「しいたけ」「竹の子」「ツト」…………。
「定番」でもないし、「材料」も違う!とお叱りを受けそうではあるが、
少なくとも、自分が育った「家」ではそうだった。

「お煮〆」も当然そうであるが、「雑煮」も大きな鍋で大量に作られていた。
つまりは、少ない買い物の「手間」で、「大人数」のために、「大量」に、
しかも、ここが大事だが、「正月は何もしないで済ませるため」、
の料理と言う事。

遠くから帰って来る「家族」と、たまに会う「友人」「知人」と、
「のんびーり」するための料理と言う事。


ここ何十年かの「正月」は「三が日」と言えども騒がしい。
子供の頃の「三が日」のイメージは、「シーン」としていた。

かつて在していた「東京」の正月は大好きだった。
「人は少ない」「車も少ない」、「東京」の元旦は概して晴天が多い。
だから、空気は綺麗、空は青空、「富士山」が肉眼でよく見える。

かつての「正月」は、なんだか「晴れ晴れ」していた様に想う。


年末の「スーパー」「デパート」は、「正月」のための買い物でゴッタ返し、
元旦の「スーパー」「デパート」は、初詣帰りでゴッタ返し、
2日、3日の「スーパー」「デパート」は、「初売り」でゴッタ返す。

「元旦」だけでも「働くな!」。
って「おふれ」を政府で出せない物かね。もう、法律で決めちゃう。
少なくとも「大型店舗は開けるな」ちゅう事にすれば、「2日」から店を開けたとしても、
「元旦」は、世の中のかなりの人が休めるジャないだろうか。

この「元旦」、コンビニの前で、ふと、そう思った。
その後、コンビニで買い物をしたのは言うまでもないが………。

newport宮木英貴


2012年1月25日水曜日

1/24火曜 「スーパー シガ」の250円弁当


微妙に二日酔い、かつ、風邪気味?疲れが残ってる?
昨日は定休日なるも、
普段以上の早起きして、あれやこれや、……。

何も、かも、したくない時もある。
無理する気にもなれない。

で、「シガ」の弁当。カップ麺。

けど、安いよなー!
250円弁当二つに、カップ麺で、600円強だ。
これで二人分。

多分弁当は、スゴイ原価率、作りに雑さが漂うのは否めない。
けど、ご飯と言い、おかずと言い、なかなかのレベル。

他人の商売ながら、切なくなる。
自分の仕事を考えると、単純には喜べない。



2012年1月22日日曜日

1/21土曜 ベーコンとキャベツのトマトパスタ


冷蔵庫の野菜カゴと相談の上、あり合わせでやっつけたら、
なんとまあ、そこら辺にありそうな「賄い」になった。

しかし、トマトのなんとえらい事。
煮て良し、焼いて良し、当然生でも良い。
ちょっと煮て、しっかり煮込んでそれぞれに、それなりに美味い。
肉と合わせて良し、魚と合わせて良し、野菜とだって良し。
甘くて良し、酸っぱくて良し、辛くたって良し。

少々荒れた味だって、上手い塩梅に丸め込む。
当然、日本的な材料だってなんとかしちゃう。
トマトソースに「味噌」を入れて「グラタン」のソースにして、
チーズを乗っけて焼いた事もある。

そもそも、南米アンデス辺りが原産、メキシコ辺りで食用に栽培が始まったらしい。
それが「コロンブス」以降、ヨーロッパに伝わり、
きっと中南米と似た気候の、南ヨーロッパ、地中海沿岸でまず広まったんだろう。

今じゃ「トマト」イコール「イタリアン」なんてイメージだけど、
ヨーロッパでの「トマト」の歴史はいいとこ、数百年てとこ。
日本じゃ戦国時代に突入する辺り、
なんだか長いんだか、短いんだか分からないけど……。

たしか「じゃがいも」「とんがらし」
「とうもろこし」「かぼちゃ」何ぞも、アンデス原産。
「中南米」贔屓の私なんかは、意味もなく「様みぃ」なんて感じる。

「コロンブス」の時代がもたらした、世界の激変ぶりは、
食い物の面からも良く判るってもんだ。
それ以前のヨーロッパの人達は何食ってたんだか、と、思えるくらい。

閑話休題

今気がついたが、今日の「賄い」。
「キャベツ」+「ベーコン」+「トマト」は、
これにひき肉足したら「トマト煮のロールキャベツ」。
なーんだ、「ロールキャベツ」バラかしただけじゃん。



2012年1月21日土曜日

1/20金曜 野菜炒め乗っけの「明星チャルメラ」


「明星チャルメラ」が美味い。歴史も長い。
全国的に見ても、スーパーにおける陳列率(って言葉ある?)は、
他の「インタントラーメン」に大きく間を開けている。


そう、強く宣う同級生「M君」がいる。
つまり「どこ行ってもだいたい売っている。」と言っている様なもの。
が結構、どこでも売っていなくて、最近某所で見つけたので買ってみた。

「インスタントラーメン」ったって、もう多種多様。
にしても、麺の変な脂臭さ、スープの「味の素」臭さはだいたい一緒だろう。
今時は、それも相当克復しているんだろうけどね。
それでも…………ねぇ。

まあ、以前ならいざ知らず、
最近なら「そりゃ体に悪そうだ」
「もうちょい金払っても良いもの食おうよ。」って事にもなるが。

で、本日の「賄い」。
「明星チャルメラ」に
山の様に「売れ残りローストポーク入り野菜炒め」を乗っけて食って見た。
麺を別に茹でると、「脂臭さ」はだいぶんに緩和される。
スープのベースは、やっぱり「味の素」。ベタついて半分以上残した。
「インスタントラーメン」らしさがずいぶんに消えたおかげで、不味くはなかった。

が、この食い方は「インスタントラーメン」ぢゃない。
やっぱり、湯を沸かして、麺いれて、スープ入れて。
で「卵」「もやし」「ネギ」を直接ぶっ込んだのが「インスタントラーメン」だろ。

どなたも、かつては随分お世話になっただろうし、自分も人の事は言えない。
そんなこんなで、「インスタントラーメン」は否定できないのが正直なところ。
何か、こみ上げる物さえある。あん時は美味かったんだ。
欠点は手軽に食る分、手軽に腹が減る。

本日の「賄い」後も、2~3時間保ったか保たないか。
腹減った。


2012年1月20日金曜日

1/19木曜 味噌煮込みうどん


「味噌煮込みうどん」って言ったって、完全な「なんちゃって」である。
「郷土の誇り」として「味噌煮込みうどん」を語る方には、絶対にお叱りを受ける。

我が家は、赤味噌率が高い。
だいたい2~3種類混ぜて、「赤味噌だけ」って事はないけど。
で、「赤味噌」で煮込んだ「うどん」位のイメージしか無い。

「赤味噌」と「白味噌」の配合は、どうよ。
「生姜」を入れりゃ、美味かろう。
「鶏」が良いかい、「豚」が良いかい。
「ごぼう」はどうだ。「山椒」が合うかい。
…………………………………………。

数限りなく試された結果、
「我家流、なんちゃって、味噌煮込みうどん」は確立された。

本当、半年以上は毎日食ってた。
大量に、多種野菜は食べる事が出来る。味噌汁好き。嫁はうどん好き。俺は麺好き。
毎日でもなんテェ、事は無い。

ちなみに、当時本場名古屋まで食いに行った。
だからって、本場の味を追求しようとは思わない。
「赤味噌」で煮てあった。位しか覚えていないし。
もうずっと「味噌煮込みうどん」って言う「イメージ」を追いかけているだけかも。

こうして、伝統は遠い地で形を変えてしまう。
「名古屋愛」なんて無い奴が、「イメージ」だけで「味噌煮込みうどん」を作っている。
日本語圏で、日本人がこんな事している。
「寿司」が海外で形を変えてしまっても、文句は言えない。


で、…この「味噌煮込みうどん」月間は、なんの意味も無く、
ある日を境に、プッツリと途絶えた。
ついでに言うと、今は、毎日が「納豆ご飯」、もう2年近くなる。
これと言って、これも意味は無い。


2012年1月19日木曜日

1/18水曜 生姜焼き



食べる物が自、分にとって「美味そう」「食いたい」感は、
バランス、量が影響するかも。
自分で飯を作るメリットの一つは、そこにある。

例えば嫁が作る飯は、時に「人参」「酢」「ゴマ」「ネギ」が大量だ。
それらは、嫁の好物。私的にも異論は無いので、なんの問題もない。

例えば………。

「三つ葉」または「セリ」の「おひたし」は、
刻んでも、揉んでも「海苔」をしこたま。
まるで、「海苔」食ってんだか、「おひたし」食ってんだか。って位。


「イカ刺し」は「大根おろし」に「おろし生姜」で食うと決まっているが、
その量も「大量」と決まっている。
まるで、「大根おろし」の薬味が、「イカ刺し」の様。

カレーには、「オニオンスライス」がお気に入りだが、
「飯」と「玉ねぎ」の量は拮抗している。

味噌汁が好物。何時も「二杯」または「山盛り」食う。
塩分摂取量が気になるところ。最近「薄ーく」してる。

で、今日の「賄い」、「豚ロースの生姜焼き」だが、
「キャベツ」は「肉」の添え物では無く、
「キャベツ」の添え物が「肉」、「キャベツ」を食う手段が「肉」。

「肉」にかじりついたところに、「キャベツ」を頬張る。至極の幸せ。
なにせ、「キャベツ」の千切りが好き。もう、山の様に食う。

最近「トンカツ屋さん」の「キャベ千」の盛りがイマイチ。
「お代わり」しても、ポチポチ。
「只ぢゃ無くても良い!金払うから!」と、叫びたくなる。
世知辛い世に中だ。


2012年1月18日水曜日

1/17火曜 モツ煮込みカレー


先の日曜、我がバンド「newports」のライブが、我が店「newport」でありました。

「newports」は、「出来る」いわゆる上手なミュージシャンに集まって頂き、
「我が音楽的思いを実現させる。」と言う、
もう、私にとっては「至極」、「究極」、「夢の様」なバンド。
ライブ毎に「この上ない幸せ」を感じている次第であります。

個々のメンバー間でも、「腕」のある物同志が触発されあい、
有機的に絡み合って、楽しい時間が出来上がっている様。
誰かが行っちゃうと、「俺も俺も」状態が延々と続く様に感じる事も…。
「楽しい」から「次」があると、私的には解釈しております。
「ありがたい」事この上ありません。感謝。

この様に「腕がある」ミュージシャン達と言うのは、
やっぱり「プロ」。または「ほとんどプロ」。の方々で、
「札幌」「小樽」界隈で活躍中の方々ばかりです。

「プロ」、当然彼らにとっては「演奏」は「仕事」、
「仕事」には「ギャラ」が発生します。
で、彼らに「ギャラ」を支払うため、
ある意味「私如き者の好奇心を満足させる為のバンド」に、
大枚「3000円」を頂いております。

正直「高いかな?」と思っている次第、
「申し訳ない!」と思う気持ちを
「当店は食い物屋、せめて腹一杯になって頂こう」
と言う思いで埋め合わせております。

で「ライブにはカレー食い放題」と言うシステムが完成しました。
そこそこ、お客様には「好評」と、自負はしておりますが……。

で、何せ「食い放題」。
余る程に作らなきゃ心配なんで、ライブ後は必ず余ります。
余ったカレーは「瓶詰め」にして保存、次回を待ちます。
その上で、かつ、余ったカレーは「賄い」となります。

今回は「モツ煮込みカレー」。美味く出来た自信はあるのですが、
もう少し「モツ煮」っぽくても良かったかな?とも思っております。

なんにせよ、ご来場頂いたお客様に、「厚く」「熱く」御礼申し上げます。

さて、小樽での次回は、5月位になる予定です。
よろしくお願いします。




2012年1月15日日曜日

1/14土曜 ボンゴレロッソ


そもそもパスタを食う時、ある種「パン」は付き物、絶対条件だ。
「賄い」に廻せる「パン」が無けりゃ、「パスタは食わない」って位。
「パン」を食べるために、「パスタそのもの」の量も調整する。

「ソース」「パスタそのもの」、そして「パン」で
「パスタ」って料理は完結すると思っている。
三位一体。もう習慣化しちゃっている。
まあ、あくまでも「個人的な意見、習慣」なんだが。

「パスタ」を「クルクル」ってフォークで巻き上げると、
ソースの具、例えば「ベーコン」とかは皿に取り残される。ソースだって皿に残る。
そんな時「パン」が「スプーン」代わりになる。


なんでこんな習慣になったかって言うと、彼地「ヴェネズエラ」がそうだった。

レストランで、何を食べても「パン」は付く。
変な話、「ヴェネズエラ人」がお客の中心の「中華料理屋」だったら、
「中華料理屋」でも、中華っぽい「パン」が付く。
とりわけ「イタリアン」では「パン」は食べ放題。

私が働いていたレストランでも、「賄い」が「パスタ」の時は
誰かが必ず「パン」を持ち込んで、山にしていた。
で、話の核心は「どうして?」って事だろうけど、理由は一言「良く分からない」。

理由の一つに、「パン」は安くて「腹が一杯になる」から、
と言うのが考えられるけど、「貧乏人」ならそんなところだろうけど、
「金持ち」も「パン」は大好き。

だいたい、レストラン毎に「パン」は焼いている。
街中、一ブロック毎に「パン屋」はある。
少しずつ一日中焼いている。いつでも焼き立てが売っている。
まあ、誰もが「パン」が好きなんだ。

けど、どうして「パン」と「パスタ」が絶対的コンビネーションかは分からない。

もう一つ分からない「ヴェネズエラ」の食習慣がある。
「サンドイッチ」と「ポテトフライ」のコンビネーション。これも結構、絶対的。
「ポテトフライ」が無けりゃ、「ポテトチップ」を食う。
「イモが無けりゃ、サンドイッチは食わない!」って奴もいる。

まあ、これも「腹一杯にしたい」位しか、理由は思いつかない。


2012年1月14日土曜日

1/13金曜 鯛のアラ汁


パーティーの料理用に、「鯛」を一本買った。
「鯛」だし、未確認ながら本州のどっか産の養殖物。
最近は本州産の魚でも、かなり良い状態で小樽のスーパーにも並ぶ。
その上、値段も手頃。

「アジ」やら「鯛」やら……………

当然、「鯛の身」はお客様行きではあるが、「頭、ヒレ、骨」は俺の物。
前日夜に、「カマ」と「ハラス」は酒蒸しで、酒の「当て」。
軽く塩して、日本酒かけて、電子レンジで「チン!」。
これで充分に美味い。ポン酢なんぞを「タラッ」、てなもんだ。

養殖物でちょい「脂」クサイけど、うるさい事言わなきゃ美味い。
「美味いもの」食うにゃ、うるさい事言わないのも肝要。
うるさい事言ったって、
いわゆる「本物」に出会うのは、一年に何度もない。
ま、巷には「能書き」って「スパイス」が必要な方も多いけど。

閑話休題


で、残りは「ショウガ」を効かせて、「昆布」をひいて、軽く煮込んで出汁を取る。

「アラ」は、あまり長時間煮込むと、
出汁は魚のいやらしい匂いがしてくるし、身も崩れるし、味も無くなっちゃう。
「品の良い味、香り」であるうちに、火を止める。
「退き際」が肝心。時間にすると最長で30分位かな?
欲しい出汁の分量にもよるけど、当然もっと短かくったって良い。
この辺の時間感覚でやっつけると、「鰯」の骨だって美味い出汁が取れる。

そんで、この出汁にあり合わせの野菜をを放り込んで、完成。
味は「日本酒」ダバッ、「しょうゆ」チョロ、「塩」パッ。シンプルなほど良い。
今回は「和」を意識したが、私的には「洋」的展開も視野に入る。
この辺は、悩ましいところ。方向性を決めてかからないといけない。うーーー。

「アラ」が「賄い」だと困った事が一つ。
「食うのに、手前、暇がかかる」こと。
仕事が山積していると、丁寧に食べたい処だけれども、気も急く。
凄ーく悩ましい。
「小振りのシジミの味噌汁」なんかも、この種族の食い物に分類される。

なんにせよ、「魚のアラ」は「賄い」の王道なのは間違いない。


2012年1月13日金曜日

1/12木曜 宮木家の雑煮

食物には、育った味がある。
例えば「雑煮」なんかは、「正月」なんて晴れがましい時の食物だから、
特に記憶に残りやすいんじゃないかと思う。

雑煮は、ご家庭ごと千差万別と思われる。
だって、
宮木家は、「鶏出汁」「ごぼう」を中心に「人参」「高野豆腐」「山菜」etc.が入り、
「ツト」「ネギ」「三つ葉」「海苔」をトッピング。
嫁の実家は、ガラッと変わって、「スルメ出汁」「ごぼう」が中心で、
「里芋」「芋がら」「大根」「ツト」etc.に、「セリ」をトッピング。
宮木家と、嫁の実家でさえ、これだけ違う。

「家庭の味」は、新しく「家族」=「家庭」が出来た時から、
やはり、新しくスタートする物、作られる物だろう。
我が嫁との、「我が家」でも「我が家」なりの食生活、食習慣が現前と「ある」。

しかしながら、我が家では、「我が家的雑煮」を作って食う習慣がない。
と言うよりも、「正月」は普通に店を開いている事が多く、
普通の日々が過ぎて行くのと、そう変わらないから。
だから、「我が家的雑煮」は存在しない。

で、毎年、元旦に嫁の実家の「雑煮」を食べ、
気が向いた時、宮木家の「雑煮」を自分で作って食う。


で、この「自分で作る」ってのがポイント。
子供の頃から引きずった「味」が懐かしくなる事もあるじゃない。
そんな時、家庭の中では、どう処理されるんだろう。

自分で作れない、不器用な旦那だったらどうするんだろう?
奥様は、旦那の実家の「味」を再現してくれるんだろうか?
「再現したくない」パターンも考えられる。
奥様も不器用で、「再現できない」って事も……………。
今現在の生活は、「良いも」「悪いも」自分の責任だし、
考えない様にするって事も、大事かもしれない。

結構、迷宮に入り込む。
こんな時、自分で作れる「幸せ」をちょいと感じる。

って言うより、「我が家的雑煮」を食う生活を確立する事の方が、大事か?






2012年1月12日木曜日

1/11水曜 たまたまの残り物で親子丼もどき


基本、材料は捨てない。
と言うか、端から端まで使い切る事を信条としている。
材料を使えない状況、つまり「腐らせる」様な事も無い様、心がけている。

作った料理も、当然捨てたくはない。
流石に、客の歯型が付いている肉片は辞めておくが、
箸を付けた痕跡が無い物は「賄い」の材料になる。

本日の「賄い」はそんな一品。「親子丼もどき」。
「通し」の残りの、いかれる寸前の「鶏のごぼう巻き」。
パーティーの肉料理の付け合わせの「青み」。
が主な材料。

「ごぼう巻き」に水を張って、炊けば出汁はでる。
バターで炒めた「玉ねぎ」を投入、
「酒」「しょうゆ」で味して、卵で閉じて飯に乗せれば完成。


材料は「食って美味い瞬間」がある。その「瞬間」を逃さい無い様に努める。
けど、材料が「不味くなる一線」もある。「腐る」って事。

これはあくまでも個人的「感想」「考え」なんだが、
「材料が腐る寸前」は面白い事が起きる。
その材料の「味」が無くなる。「味」がしなくなる。「不味く」さえ無い。
「肉類」は顕著、野菜はその前に見た目からダメになるけど。

そうなったら、だいたい、次の日には違う匂いがし始める。
つまり「腐った」匂い。

完璧に「美味い」瞬間だけで料理が作れたら、最高だろうね。
けど、そうもいかないのが現実。
「食べられる」、「美味い」は別の事なれど、
色々な意味で、材料を100%使い切る「目」「感性」を養わねばって事。
まだまだ勉強中であります。


そんな事、誰でも思っている事で「当たり前」の事だけど。
「一手間」で捨てないで済むのに、結構その「一手間」が面倒くさい。よね?
俺はやるべく、普段から努力はしているが。



2012年1月8日日曜日

1/7土曜 ポークチャップ


私、基本的に野菜好き。生野菜ならいくらでも食う。
「体の事を思って」とかじゃなくて、本当に好き。

他にも、いわゆる身体に「良い」とされる、
「キノコ」「海藻」等も大好き。ほぼ毎食の様に食う。

ついでに言うと「玄米」とか「麦ごはん」も大好き。
ただ真っ白い「ご飯」を食うと、何か物足りなくて変な感じを受けるくらい。

私の体型をご存知の方も多いでしょうが、これであれだから、
もし、それらを食ったなかったらどうなっているんでしょう。

かと言って「肉」が嫌いな訳でもないので、
「肉」を当てに、大量の「千切りキャベツ」を食う。と言う食事が時にある。
この時「ご飯」は、ほんのちょっと。
もう、普通位の大きさのキャベツなら半分以上は食べる。

ま「キャベツ」だけだと飽きるので、「玉ねぎ」「人参」「パセリ」何ぞを放り込む。
切るのは前日。ガッと切ってザルに入れ、ほんの瞬間だけ冷水に浸す。
浸し過ぎると、キャベツの美味しいところが流れちゃう。
ザルにボールをあてて、一晩、冷蔵庫の中に放置、これで充分に水は切れる。

多分、栄養学的に理想的なのは、切ったそばから食うのがベストなんでしょうが。
「水に浸す」、「切った後、放置」は栄養素が飛ぶ原因でしょうし。
でも、「パリッ」「シャキッ」とした「キャベツの千切り=キャベ千」が良いんだ。

「キャベ千」が良いのは、食うのに良く噛む、アゴを動かすこと。
結果、満腹中枢が刺激されて、「大満足」「大満腹」になる事。
その上、胃にはもたれない、「ウOコがガッツリ出る。」

もう、良い事ずくめ。「キャベツダイエットの意味が解る。」



2012年1月7日土曜日

1/6金曜 カレーうどんまたはカレーそば


「そば」か「うどん」かの選択の問題。

もし、ある条件の下で、
「「そば」「うどん」が選択できるなら、どちらを選びますか?」って事。

好みの問題もあるだろうし、「その汁はうどんだろ。」ってのもある。
地方色の事も、当然外しては考えられないだろう。
「あー難しい。」

簡単に言えば、「駅の立ち食いで、そばにするか、うどんにするか。」って事。
小樽には「うどん専門店」は、ほぼ無いし、
そば屋さんで、大概のとこチョイスできるだろうから、この同じ大問題にぶつかる。
「あー悩ましい。」

私個人の事を言えば、断然「そば」。「そば」が好き。

この「好き」にも、また問題があって、
一つは断然「本物志向」、「粉、打ち方、茹で方、出汁」に一家言あって、
「本物」以外は認めぬ!、「フリーク」と呼ばれる方々。
「じゃあ俺が打つ!」とか言い出すパターンも多い。
当然、立ち食いの「そば」は、「そば」とは思っていない。

もう一つは「そばと名が付きゃあ、何でもいい。」って方。
何なら「どん兵衛」でもOK、当然「本物」も範疇。
この手の方は、立ち食いでは悩まない。あっさり「そば」って言うはず。
私は後者。

数年以上、そもそも「そば好き」なのに、乾麺しか食えなかった時期があり、
卑しくなっている様。


けど、当たり前だけど「そば」と「うどん」は別物だよな~。
並べて考えるから、こんな文章を作らなきゃならなくなる。

ちなみに、私は「そば」ですが、嫁は「うどん」。
夫婦間に深刻な悩みは無いはずです。

言っておくが、私は「うどん」が嫌いなんじゃ無い。
比べたら、「そば」が好きって事。

で、この文章の最初に戻って下さい。


2012年1月6日金曜日

1/5木曜 あっさり正油ラーメン


ラーメン。
最近は「正油かな?」と、思っている。
と言っても、完全に好みの話し。能書きをたれるつもりはない。

子供の頃から、「正油の芳ばしい」匂いは大好きで、焦げた香りは天にも上る。
ずっと、正油ラーメンだった。
(近年「焦がし正油ラーメン」なんて言われると、そそられるのなんの。)


その後、海外での8年におよぶ「ラーメン渇望期」があって、
帰国後はしばらく「味噌ラーメン派」だった。
正直、ラーメンに関しては浦島太郎。
適当に当たりを付けて、良さそうな店に飛び込んでいた。

よっぽど、好みのラーメンに出会えそうなら「正油」だったが、
他は、「味噌!」。
「味噌」は「正油」以上に味が濃いし、その複雑な味で騙し騙し食える。
つまりは「正油」の方がお好みなんだが。

そして、そこそこラーメン屋の知識が蓄積されてきた現在、
「正油ラーメン」にほぼ回帰している。

ちなみに「塩」は、正直な所自分自身の中に判断基準を持たない、
子供の頃から食する習慣が無いので初めから却下。
「塩ラーメン」は想像するに、
「出汁」プラス「塩」の単純、シンプルな構造上、
味の構築は難し過ぎるだろうと、自分の中で思っている。
「和」でも「洋」でも、その深遠過ぎるシンプルな世界を実感できるだけに、
期待はするつもりは無い。

某所、塩が自慢の「あの店」の「塩ラーメン」も
かつては「塩を食って、始めて美味いと思った。」けど、
今は「みりん」が強過ぎて、食べていると鼻に付いてきて、途中で飽きる様になった。
………………………………。………………………………。

と、まあ、
「ラーメン」はいくらでも語れるねぇ。
「ラーメン大国日本」。
これが、日本人の数だけみんな、一様に「意見」はあるわけだ。
あっちも、こっちもみんな正しい。誰かだけ特に正しいって事は無い。
あー!ラーメン屋は大変だ。自分には無理。


そんなこんなで、自分で、シコシコ自分好みの「ラーメン作り」に勤しむのでした。

鶏は、ガラじゃ無く正肉で取った出汁。
この方が、雑味の少ない、澄んだ旨味の出汁が取れる。
それに「ニンニク」「ショウガ」を香らして、味は「焦がし正油」。

スーパーに売っている麺のレベルも、最近は高い。
細めの麺を購入、シャッキリ茹でて、
炒めたもやし、売れ残りのローストポークを乗っけて完成。

なんじゃ、かんじゃ、最後は「能書き」になったしまいましたが、
美味いっす。





2012年1月5日木曜日

1/4水曜 和風あさりパスタ ヘラガニの味噌汁

いかれそうな「あさりのしょうゆ漬け」に
バター風味を乗っけて、日本風ハーブの「三つ葉」をごっそりのパスタ。

「あさりのしょうゆ漬け」は、
「あさり」が「生き」がびんびんの時に処理しているから、
いかれそうでも、味はびんびんに残っている。

と、

頂き物の大振りの「ヘラガニ」を出汁に、
風味付けに「酒粕」と大量の「ショウガ」入り味噌汁。

どちらも「メチャ」美味い。

今日はちょっと時間がないので、ほぼ写真だけでご勘弁。



2012年1月4日水曜日

1/3火曜 ちらし寿司


小学校の頃、誕生会やら何やらで「お呼ばれ」されると、
決まって「ちらし寿司」だった。
「赤」「緑」「白」「黒」色が氾濫していて、
何だか、お目出度い感じを醸し出しているからかも知れない。

そんなこんなで、お正月だから「ちらし寿司」。

景気良く「生ちらし」と行きたい所だが、
まだ水産市場で「セリ」も始まっていないので、スーパーに魚が無い。
有っても、人の足許見たかの様に、ベラボウな値段。
か、いわゆる「塩干物」ってもんだけ。

もっとも、市場の人のみならず、漁師さんだって正月は来る。
「元旦、三が日」位は休んでもらわないと。
ちゅう事で「根菜類」「乾物」をやっつけた「ちらし寿司」となった。

だいたい、どうして「ちらし寿司」になったかって言うと、
「前日の「そばの出汁」が余っちゃったから。」というのがそもそもの発想のスタート。
何かの弾みで「鉄火丼」が頭に浮かんで、「酢飯の鉄火丼も美味いよなー」。
で、「余り物」「有る物」が組み合わさった結果。

「余り物」から「ちらし寿司」まで行くあたり、
「ちょっと、そこらの奴にゃあ真似できまい。」と自画自賛。
嫁は褒めてくれたけど………。


小学校当時、私、「酸っぱい」「甘い」物が大嫌い、
その上、嫌いな「きゅうり」「焼いた卵(錦糸卵)」まで乗っていた。
一口も食べる事ができない。
自分の嫌いな食べ物を組み合わせると、「ちらし寿司」になると思っていた。

嫌なガキだ。
呼んでくれた家の「お母さん」は喜ばせようと思って作ったはずなのに。
「白いご飯に、海苔の佃煮」をもらった記憶がある。


2012年1月3日火曜日

1/2月曜 「熱盛り」そば

あけましておめでとうございます。
ことしも、是非、よろしくお願いします。


さて、どうして「年越しそば?」。
「Wikipedia」によると
"「細く長く達者に暮らせることを願う」というものがもっとも一般的である。"
だそうだ。

ま、由来はともかく、12月31日「年越しそば」を食うべく、
時間は18時頃、小樽をウロウロしていた。
先日からの「年越しそば」疲れか、結構あっちこっちの「そば屋」はやってない。
やっと、「カネサク本店」の明かりを発見、転がり込む。

この時、食いたい「そば」のイメージが、「天ざる」だった。
本来「「そば」っって言ったら「もり」だろ。」って宗旨なんだけど、
年末の高揚感か、この日のイメージには
「もり」の横に、無い事に「天ぷら」が添えられていた。

知らないで入ったのもいけないが、
「カネサク」の天ぷらは「温かいそば」に、100%チューニングされている。
「北寄」の入った、カチカチのかき揚げは有名らしい。
冷たい「天ぷら」をポリポリ食う羽目になった。

こいつはダメだ、「揚げたてだったらな〜」なんて思うのは後の祭り。
何でも100年からの歴史のある「そば屋」さんらしいし、
店のシステムがそうなんだから、しょうがない。

ちなみに、嫁は「天とじ」を注文、
これは天ぷらのがしっかり汁を吸っているにもかかわらず、
みょうにデロデロになることもなく、しっかりしていて、大変良かった。
やっぱ、温かく食うべきの物の様。

「そば」自体は「更科系」の、しっかりした麺で好感は持てる。
が、俺「更科」はあまり好きじゃあない。

結果、昨年の「年越しそば」は、大いに「思い」を残す事になったしまった。


で、店に戻って「うどん」を仕込むついでに
悔しさ紛れ、敗者復活をかけて「そば」を「作った」。
「打った」じゃ無く「作った」のは、パスタマシーンを働かせたから。

そば粉7:小麦粉3の「そば」らしき物。
ともかく、自分で作った分だけ、愛着も湧くってもんだ。

本来はその日の内に消費する予定だったが、
ありがたい事に店も賑わって、食うタイミングを逃してしまい、
「本日の賄い」となりました。

スタイルは「熱盛り」。
この冬場の時期、「冷たいそば」を「温かい出汁」の折衷は悪くはない。

使ったのはちょい古い「そば粉」で、
何か「カビ臭い感」があったのは、お慰み。