2013年7月26日金曜日

7/25木曜 雑煮


先日、極近い身内の「法事」があり、
お供え物の「モチ」を、お寺さんから頂いた。

おそらく、永く製法を引き継いでいると思われる、
一口じゃあ、ちょいとハバケル程度の大きさの「丸モチ」。
一個失礼して食ってみたら「美味い」。
そこらの「充填モチ」と、そりゃあわけが違う。

んで「モチ」と来りゃあ「雑煮」でしょ。
てんで「我が家風雑煮」が此度の「賄い」となる。

さーてさて、
「雑煮」は我が「賄い」じゃあ年がら年中だが、
本来「正月」を祝う、「ハレの日」の特別な食事だ。
そんなこんな「地方色が豊か」と見聞きする。

同じ地に永く住み続けている人達の「それ」は、
環境が変わらぬ限り、永く同じ「それ」だろうとは想像できる。
じゃあここ、全国各地から人が集まっている「北海道」、
あちらこちらが「溶け合っていく」だろう事は想像に難くない。

そりゃあ「初代」は、故郷から持ち込むだろう。
「同じ」「似た様な」材料を探し、工夫する。
後々「A」と「B」、別の土地出身の者同士が家庭を持つ事にもなろう。
そうなると、どちらかの持って来た物に傾くかも知れぬが、
「モチはA」だが「汁はB」みたいにも「溶け合っていく」はず。

こうして、それぞれの家族の中で「雑煮」は「進化」して行く。

別に「地方色豊か」であることを否定しようってんじゃあない。
料理の「進化」は「ロマンチック」だと言いたいだけ。
その「混沌」ぶりを想うだけでも「震えて」しまう。
「地方色」は各「家」で温存される。


「方言」が、「メディア」のせいで「標準語」に矯正され、
また、その「メディア」のせいで「一地方の方言」が全国で使われる。
まさか「標準雑煮」を唱える「バカ者」もおらんだろうが、
是非「雑煮」こそは「各家の地方色」であって欲しい。


待てよ、別にこりゃ「雑煮」に限ったものばかりでもないか………。
良く考えると、北海道じゃあなくったって......。

……「妄想」は限りも無く羽ばたく。

"newport"宮木英貴


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