先日、極近い身内の「法事」があり、
お供え物の「モチ」を、お寺さんから頂いた。
おそらく、永く製法を引き継いでいると思われる、
一口じゃあ、ちょいとハバケル程度の大きさの「丸モチ」。
一個失礼して食ってみたら「美味い」。
そこらの「充填モチ」と、そりゃあわけが違う。
んで「モチ」と来りゃあ「雑煮」でしょ。
てんで「我が家風雑煮」が此度の「賄い」となる。
さーてさて、
「雑煮」は我が「賄い」じゃあ年がら年中だが、
本来「正月」を祝う、「ハレの日」の特別な食事だ。
そんなこんな「地方色が豊か」と見聞きする。
同じ地に永く住み続けている人達の「それ」は、
環境が変わらぬ限り、永く同じ「それ」だろうとは想像できる。
じゃあここ、全国各地から人が集まっている「北海道」、
あちらこちらが「溶け合っていく」だろう事は想像に難くない。
そりゃあ「初代」は、故郷から持ち込むだろう。
「同じ」「似た様な」材料を探し、工夫する。
後々「A」と「B」、別の土地出身の者同士が家庭を持つ事にもなろう。
そうなると、どちらかの持って来た物に傾くかも知れぬが、
「モチはA」だが「汁はB」みたいにも「溶け合っていく」はず。
こうして、それぞれの家族の中で「雑煮」は「進化」して行く。
別に「地方色豊か」であることを否定しようってんじゃあない。
料理の「進化」は「ロマンチック」だと言いたいだけ。
その「混沌」ぶりを想うだけでも「震えて」しまう。
「地方色」は各「家」で温存される。
「方言」が、「メディア」のせいで「標準語」に矯正され、
また、その「メディア」のせいで「一地方の方言」が全国で使われる。
まさか「標準雑煮」を唱える「バカ者」もおらんだろうが、
是非「雑煮」こそは「各家の地方色」であって欲しい。
待てよ、別にこりゃ「雑煮」に限ったものばかりでもないか………。
良く考えると、北海道じゃあなくったって......。
……「妄想」は限りも無く羽ばたく。
"newport"宮木英貴
0 件のコメント:
コメントを投稿