2011年9月6日火曜日

9/4日曜 牛すじ丼

食い物を作る人間、扱う人間に知識と経験があれば、
いわゆる「ゴミ」を大幅に減らす事は、
時間、気持ちが許すなら可能だと思う。

「ここんとこは本当は食える」「こうすりゃ食える」なんて事を知っていても、
手間暇かける時間と気力が無けりゃ無理。

問題は、何も考えも無しに
ある一線を超えたとたんに、「食べ物」が「ゴミ」になる事。
本当はそんな「一線」なんか存在しないはずなのに。

少なくとも「食べ物」であった事に対する
「畏敬の念」みたいな物は持つべきじゃなかろか。

この地球上には、その「食べ物」を口にする事で、
「生きる」事が出来る「人」は確かに存在するんだし。

何かの命を頂いて、「食べ物」は存在して、
それを口にして、生き物が生かされている。
「いただきます。」って事。

夕べ、我がバンドのドラマー「Chip」と食事した。
俺は行儀も悪く、「いただきます」もそこそこに「食べ物」に食いつくが、
彼は声を出さずとも、丁寧に「お祈り」をして食事を始める。

宗教上の違いがあったにせよ、気持ちは「いただきます」でしょう。

「これって、正しいよなぁ。」と、思わず眺めていた。


俺だって、気持ちはあるんだ!


昨日気分悪かったんだ。
某札幌の老舗デパートの食品売り場、パン屋さんで、
「パン」を詰め込んだ大きなゴミ袋を、
人ごみをかき分けて、捨てに行くところだった。
ゴミ袋が透明で無ければ、まだ良いのに。閉店後ならまだ良いのに。

深夜コンビニに行くと、
アルバイトが期限切の弁当を選り分けている。
大きなプラスチックのコンテナに、まるで「ゴミ」を捨てるかの様に、
「ポイッポイッ」てなもんだ。

回転寿司に行くと、
職人さんが目の前で材料をさばいている。新鮮さを演出したいんだろう。
けどね、ちょっと手を入れると食べれる部分を「ゴミ」箱へ、
「ポイッポイッ」てなもんだ。


脂まみれの「牛すじ」だって、
サッパリ感たっぷりに食す事はできる。



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