2013年1月15日火曜日

1/12土曜 「余り物」寄せ集めの炒飯


「賄い」は「余り物」の処理、
意地でも「食い物」は捨てない「勿体無い」精神を発揮する場でもある。

「自宅での食事」「賄い」でも、「寄る年波」最後の一口、一品が「余る」。
当店ライブやら、「ブッフェ形式」の「食べ残し」がある。
「仕込み」の材料が、チョイ余る。
「お客様」が来ないので、食っちまわなきゃならない物がある。
etc.etc.etc.etc...........。
ただの一言「余り物」と、言い切るには忍びないのだが…。

まずは「食ってしまう」「人にあげる」等の努力はする。
が、しょうがない、それでもどうにもならない時は「冷凍」と、相成る。
当店の「冷凍庫」のみならず、我が家のそれにも、
「お宝」数々は唸っている。

んで、「パズルのピース」よろしく、あれこれ溜まれば「何か一品」になる。
もし「売り物」にでもなって、「お金」に変われば「ラッキー」、
「賄い」になったとしても、充分「お役」にたったってもの。

ただ「何か一品」の「形をなす」ためには、
「記憶力」やら「発想の転換」やらが必要になる。

まずは「何」が「何処」にあるか忘れてしまったら、元も子もない。
私「記憶力」には、かなりなところ「自信」はないが、
なぜか「食い物」のことは、けっこう覚えている。
ま、「卑しい」んでしょうな。それ以外の理由は思いつかぬ。

と「発想の転換」、これは相当大事。
今回の「炒飯」には、冷凍してあった「鶏」の詰め物の残りも入った。
「詰め物」の中身は、「ほうれん草」「ご飯」は良いとして、
「クランベリー」「ナッツ」「チーズ」等も混ざっている。
「炒飯に、クランベリーかよ!ウエッ!」てんなら、「余り物処理」の才能はない。
「ピリッ」と、たまに当たる「酸味」が、「紅生姜みたい!」
とか思う様な「発想の転換」がないと、「お宝」は減らない。
ちなみに、焦げた「チーズ」の味が、グットではありました。

「発想の転換」のもう一つの方向は、「原形」の変化。
もちろんの事、「余り物」が「原形」のまま使えるんだったら、問題はない。
が、「サイコロ状」「みじん切り」にする事によって、
一つ一つの材料が目立たなくなり、見た目のアンサンブルが良くなる。
「炒飯」は、この「手」を使っている。
し、例えば「ミキサー」にかけて、「デロデロ」の液体にしてしまえば、
「ソース」の様にも使える様にもなるし、
「ご飯」「パン」等は、「ソースの濃度」を出すためにも使える。

そんな、こんな...........。

けどね、あれもこれも「冷凍」なんて事していたら、
チョイの間に「冷凍庫」はグチャングチャン。
事実、年末年始のドタバタの後始末が、今頃、やっと先が見えてきたところ。

最近は「根性」「意地」も希薄になって、
時に「捨てりゃあ、良いジャン」なんて思ったりもする。
「勿体無い」精神も「クソ」ない。

newport宮木英貴


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