己れの職業上、「雑煮が食いたい」と思えば、
自分で作って食やぁイイんで、
「飯」を「作れぬ、作らぬ」方々よりかは、
「他人様」を当てにしないで済む分、いくらか「幸せ」だ。
が、例えば「季節」やら「気温」やら「必然」が無くとも、
年がら年中、好きな物を、食いたい時に食ってしまう。
ま、「雑煮」「冷やし中華」何ぞは、その筆頭。
今回は「雑煮」だったが、「冷やし中華」の虫もムズムズしている。
それに付けても、この時期の「雑煮」だけは別格だ。
「正月」は、何と言っても「雑煮」。
「雑煮」を食わんことには、「正月」らしくはない。
元旦には、嫁の実家にて、嫁の実家の「雑煮」を食った。
「元旦に雑煮食べに行くからね。」の一言で、
正月早々、「実家の母さん」の「年寄りのネバならない感」をあおるという、
「長生き」を祈る、実に「親孝行」な、娘夫婦。
これはこれで、も早、正月の恒例行事になっており、
「正月」感満載の一コマ。
今年は、我が実家の「雑煮」を食う「チャンス」を逸していた。
個人的な気分だが、正直言って、ここ何年も「正月」を感じるのは、
「元旦」の一日だけ。
「三が日」「七日正月」なんてのはカレンダーの上のこと。
これは「忙しい」「仕事に追われて」なんて事が原因じゃあ無く、
「正月」を感じ続ける「体力」「気力」が薄まっているのかも知れないし、
「正月」らしい「イベント」にかけた生活をしているだけかも知れない。
そんなこんなで、ただ、単に「実家の雑煮」を「忘れて」いただけの事。
今正月、当店の「カウンター」を飾った、
「スーパー」山積みの「充填お供えモチ」が、転がっているのが、
先日来、目には入っていた。
「食わなきゃ」って気持ちは募っていた。
で、「満を時して」、1月も20日も過ぎてはいるが、
「実家の雑煮」って事になった。
「実家の雑煮」は、「ごぼう」の香りの「鶏出汁しょう油汁」。
やっぱり好きだな。
食っている間だけだが、気分が一気に「明けましておめでとう」になる。
やっぱり、この時期の「雑煮」だけは別格だ。
せっかくの「正月の雑煮」、普段の「塩分気にしい」を辞めて、
たまには「しょう油」を「カリッ」と効かせてみた。
ら、やっぱ「チョイしょっぱい」であったが。
「食い物」が、季節感を「はっきり」と感じさせる。
「食い物」の「パワー」だね。
newport宮木英貴
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