寒いし、熱盛り。
「しゃっこい蕎麦」を、熱い「汁」で食うのを、
「熱盛り」って言って良いんだっけ?ま、そう言う事にしときましょうや。
熱い「汁」のおかげで、「肉」やら「野菜」をゴッツリ入れられる。
「冷たい」んでも良いが、少なくとも「肉系」は食いやすい。
何にせよ、ただ単に「もり蕎麦」より、
「食事」として「バランス」が良いのは間違いない。
どうも、ただ「もり蕎麦」は、炭水化物に偏っていていけない。
個人的欲求としても、野菜はどうしても欲しいところだ。
さて「蕎麦」は蘭越産「新蕎麦粉」を使った、「薮半」で作られたヤツ。
「年越し蕎麦」で買った余りを、冷凍しておいた。
まさか「薮半」を知らぬ小樽人はいないとは思うが、
「小樽観光大使」を務める「店主」が経営の、老舗の蕎麦屋。
俺から見りゃ「義理の息子」、嫁の大事な一人息子が働いている「蕎麦屋さん」。
さて、その蕎麦、流石に美味い。
「香り」は鮮烈だし、微かな「甘み」も「舌」をくすぐる。
しかしそれは、どうにも「繊細」な物だ。
だって、何か「汁」に漬けちゃったら、「香り」もなにも、なーんも感じない。
「具沢山汁」で、「なんやら野菜やら」の香りが付いているからと思いきや、
これは、シンプルな「蕎麦ツユ」に浸したところで同じ事。
「鮮烈」さは、どこかに行ってしまう。
真に「蕎麦の味」を味わうなら、
「出汁の旨味」も「しょう油の香り、塩分」も必要ないのかも。
そう言や、炊いた「米の飯」とて同じ事。
「飯のおかず」と称して、日本人の「食欲」を鼓舞する品々、
「塩辛」「魚卵」「海苔」「漬物」etc.………。
「飯」を「ガッツり」かっ込むためならいざ知らず、
真に「飯の味」だけを味わうなら、必要は無い。
そう言や、ここ2~3年、朝飯の「米」に乗せる「納豆」も、
何も混ぜない、ただ、かき混ぜて「飯」に載せて食うだけだ。
が、それは、かえって「納豆の味」が濃厚に分かって嬉しい。
何て事もある。
「飯」やら、もちろん「蕎麦」を、
「なーんにも漬けない、乗っけない」で食うのは、
「食事」のバランス的にも、見た目にも「味気ない」が、
「その物の味」を味わうなら、逆に「味気ある」、引き立つって事。
「味を作る」のが、我が「コック」ってヤツの「仕事」なら、
まるで、その「仕事」を、否定している様な話をしている。
が、我が料理に対する信条は、「シンプルな程良い」だ。
「その物」の「シンプルな味」を知ることは大事な事だ。
第一「その物の味」は、変え様もないし……。
ただ、「蕎麦を何も漬けないで食ったら、素直に美味かった。」って
それだけの事を言いたかっただけなんだが、
正月早々、頭が痛くなる話に逸れちまった。
結論なんか出やしない。
newport宮木英貴
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