2013年1月6日日曜日

1/5土曜 熱盛り蕎麦、蕎麦は「薮半」製


寒いし、熱盛り。
「しゃっこい蕎麦」を、熱い「汁」で食うのを、
「熱盛り」って言って良いんだっけ?ま、そう言う事にしときましょうや。

熱い「汁」のおかげで、「肉」やら「野菜」をゴッツリ入れられる。
「冷たい」んでも良いが、少なくとも「肉系」は食いやすい。
何にせよ、ただ単に「もり蕎麦」より、
「食事」として「バランス」が良いのは間違いない。
どうも、ただ「もり蕎麦」は、炭水化物に偏っていていけない。
個人的欲求としても、野菜はどうしても欲しいところだ。

さて「蕎麦」は蘭越産「新蕎麦粉」を使った、「薮半」で作られたヤツ。
「年越し蕎麦」で買った余りを、冷凍しておいた。
まさか「薮半」を知らぬ小樽人はいないとは思うが、
「小樽観光大使」を務める「店主」が経営の、老舗の蕎麦屋。
俺から見りゃ「義理の息子」、嫁の大事な一人息子が働いている「蕎麦屋さん」。

さて、その蕎麦、流石に美味い。
「香り」は鮮烈だし、微かな「甘み」も「舌」をくすぐる。
しかしそれは、どうにも「繊細」な物だ。
だって、何か「汁」に漬けちゃったら、「香り」もなにも、なーんも感じない。
「具沢山汁」で、「なんやら野菜やら」の香りが付いているからと思いきや、
これは、シンプルな「蕎麦ツユ」に浸したところで同じ事。
「鮮烈」さは、どこかに行ってしまう。

真に「蕎麦の味」を味わうなら、
「出汁の旨味」も「しょう油の香り、塩分」も必要ないのかも。

そう言や、炊いた「米の飯」とて同じ事。
「飯のおかず」と称して、日本人の「食欲」を鼓舞する品々、
「塩辛」「魚卵」「海苔」「漬物」etc.………。
「飯」を「ガッツり」かっ込むためならいざ知らず、
真に「飯の味」だけを味わうなら、必要は無い。

そう言や、ここ2~3年、朝飯の「米」に乗せる「納豆」も、
何も混ぜない、ただ、かき混ぜて「飯」に載せて食うだけだ。
が、それは、かえって「納豆の味」が濃厚に分かって嬉しい。
何て事もある。

「飯」やら、もちろん「蕎麦」を、
「なーんにも漬けない、乗っけない」で食うのは、
「食事」のバランス的にも、見た目にも「味気ない」が、
「その物の味」を味わうなら、逆に「味気ある」、引き立つって事。


「味を作る」のが、我が「コック」ってヤツの「仕事」なら、
まるで、その「仕事」を、否定している様な話をしている。
が、我が料理に対する信条は、「シンプルな程良い」だ。
「その物」の「シンプルな味」を知ることは大事な事だ。
第一「その物の味」は、変え様もないし……。

ただ、「蕎麦を何も漬けないで食ったら、素直に美味かった。」って
それだけの事を言いたかっただけなんだが、
正月早々、頭が痛くなる話に逸れちまった。

結論なんか出やしない。

newport宮木英貴





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