めいめいに「アルマイトの鍋」で煮られた、
「鍋焼きうどん」はそりゃあ好きだった。
一人一人に「鍋」で出て来るのが「素敵」だった。
「鍋」一つが一人分に完結しているのが「感激」だった。
どうしたって「鍋」から直接食う「非日常」が「うきうき」だった。
当家の「汁」は、多分北海道では標準と思われる「しょう油」味だ。
吹きこぼれた「汁」の、香ばしい「しょう油」香りは、
「鍋焼きうどん」のイントロ。
「鍋焼き」にゃあ、なんたって「卵一個」が乗っかっている。
我が家は母親のやる事に「好き嫌い」は言える家ではなく、
「卵は半熟」を祈った。と言うのも、
「卵」が汁に混じって「濁る」のは好きな「質」では無いので、
先ずは「卵」を食う。
そうなると、あまり「生」なのは困る。
「黄身」が汁に流れる前に「一気に丸飲み」って事になっちまい、
「卵」が楽しめないし、下手すると「卵」が冷たい。
だからと言って「ハード」なのは、モサついて面白くない。
やっぱ「半熟」に限る。
「良く煮えたうどん」も魅力だ。
どうしたって「鍋」で煮込みゃあ、
「カケ」とじゃあ「うどん」の表情が違う。
何時も以上に「黒い柔らかいうどん」に気分はトロけた。
「柔らかい」っちゃあ「麩」も外せない。
「トロっトロ」の「麩」に「舌を火傷する」事を教えられた。
多分「天ぷら」は入っていなかったか、
入っていたとしても前日の残りの「ごぼうのかき揚げ」だ。
じゃあなければ「天かす」であっただろう。
とまあ、久方ぶりに食いたくなったってとこ。
後に母親の趣味で「アルマイト」は「土鍋」に取って変わられたが、
「土鍋」の何時までも続く「グツグツ」は、
それはそれで、充分に魅力的だった。
「当店でも」と思ったとこで、一人用の「土鍋」は見当たらず、
「しょうがねぇ」小さいフライパンで代用。
「フライパン焼きうどん」になった次第、
今いち見てくれはしょぼい。
"newport"宮木英貴
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