2013年2月2日土曜日

2/1金曜 コンビニ弁当、カップ麺


「飯の支度間に合わぬ。」時は、「弁当」のお世話になる。
まあ、学生時の「母の愛情弁当」、嫁の「愛妻弁当」ってのもあるが。

食い物は、そもそも「適温」で食べるのが断然美味い。
「熱い物」は「熱く」、「冷たい物」は「冷たく」。
「弁当」はある意味、その絶対条件を無視している。
例えば「揚げたて」を食えば、美味いに決まっているいる物を、
わざわざ、冷ましててから食う。
「冷たい物」も、保管状態によっちゃあ「ヌルく」なる。

「弁当」を作る時は「冷めたら、ヌルくなったらどんな味?」っていう、
脳内作業を一つ、しなきゃならない。

先の「母、妻の愛情弁当」は、
「熟考」の上に、「愛情」ちゅう「スパイス」に包まれ、
そりゃあ美味いに決まっている。
が、いわゆる「コンビニ弁当」は、
今時、メーカーによって料理的研究が重ねに重ねられていても、
やっぱ「イマイチ」、「んー?」だ。
「愛」が感じられないのである。


最近、ちょいと「ヤボ用」が続き、「弁当」を頂く事が多かったが、
その「ヤボ用」中、
某「高島の仕出屋、Nづか」さんの弁当を頂いた。
来賓の世話に追われ「写真」を失念し、画像をご紹介出来ないのが残念だが、
これが「絶品」。「愛」が詰まっているのだ。
これは、「職人」が「お客様」に向ける「愛」だが、
「喜んでもらおう」って「優しさ」「目線」と、
「美味い!と言わせてやる」って言う「気合い」「気迫」だ。
もう「隅」から「角」まで美味い。

例えば「冷や飯の美味さ」なんぞは、誰でもしっかり知っている。
「変」な物なら、直ぐにバレちまうが、
来賓の「バアさん」も、「これ美味しい」と目を丸くしていた。
これなら、ご馳走のし甲斐もあろうってもの。

昨日も、久々の開店で、その準備に追われ、
「賄い」は「カップ麺」、そして「コンビニ弁当」。
これが「不味くはない」けど、「とりあえず食っておこうか」って感じで、
「食事」と言うより、「餌」。

しばらく「コンビニ弁当」はいいや。

newport宮木英貴



2 件のコメント:

  1. 少し、残念でした。
    私は毎日、手作りのお弁当を作っていますが、
    コンビニのお弁当にも、それなりの愛がありますよ。

    商品開発をする人の賢明な努力、
    おいしい!と思ってほしい…という気持ちは、
    どんな形であれ、愛だと私は思います。


    ただ…メシというのは、全ての食材や料理に対しても
    失礼すぎます。

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  2. メシでなくエサでした

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