「飯の支度間に合わぬ。」時は、「弁当」のお世話になる。
まあ、学生時の「母の愛情弁当」、嫁の「愛妻弁当」ってのもあるが。
食い物は、そもそも「適温」で食べるのが断然美味い。
「熱い物」は「熱く」、「冷たい物」は「冷たく」。
「弁当」はある意味、その絶対条件を無視している。
例えば「揚げたて」を食えば、美味いに決まっているいる物を、
わざわざ、冷ましててから食う。
「冷たい物」も、保管状態によっちゃあ「ヌルく」なる。
「弁当」を作る時は「冷めたら、ヌルくなったらどんな味?」っていう、
脳内作業を一つ、しなきゃならない。
先の「母、妻の愛情弁当」は、
「熟考」の上に、「愛情」ちゅう「スパイス」に包まれ、
そりゃあ美味いに決まっている。
が、いわゆる「コンビニ弁当」は、
今時、メーカーによって料理的研究が重ねに重ねられていても、
やっぱ「イマイチ」、「んー?」だ。
「愛」が感じられないのである。
最近、ちょいと「ヤボ用」が続き、「弁当」を頂く事が多かったが、
その「ヤボ用」中、
某「高島の仕出屋、Nづか」さんの弁当を頂いた。
来賓の世話に追われ「写真」を失念し、画像をご紹介出来ないのが残念だが、
これが「絶品」。「愛」が詰まっているのだ。
これは、「職人」が「お客様」に向ける「愛」だが、
「喜んでもらおう」って「優しさ」「目線」と、
「美味い!と言わせてやる」って言う「気合い」「気迫」だ。
もう「隅」から「角」まで美味い。
例えば「冷や飯の美味さ」なんぞは、誰でもしっかり知っている。
「変」な物なら、直ぐにバレちまうが、
来賓の「バアさん」も、「これ美味しい」と目を丸くしていた。
これなら、ご馳走のし甲斐もあろうってもの。
昨日も、久々の開店で、その準備に追われ、
「賄い」は「カップ麺」、そして「コンビニ弁当」。
これが「不味くはない」けど、「とりあえず食っておこうか」って感じで、
「食事」と言うより、「餌」。
しばらく「コンビニ弁当」はいいや。
newport宮木英貴
少し、残念でした。
返信削除私は毎日、手作りのお弁当を作っていますが、
コンビニのお弁当にも、それなりの愛がありますよ。
商品開発をする人の賢明な努力、
おいしい!と思ってほしい…という気持ちは、
どんな形であれ、愛だと私は思います。
ただ…メシというのは、全ての食材や料理に対しても
失礼すぎます。
メシでなくエサでした
返信削除