冷凍してあった、「豚軟骨」を煮込んだ「甘しょう油汁」を、
とりあえずは、ただ「水」でのばしてスープのベースとする。
「冷凍」ったかて、「砂糖」の糖分と「しょう油」の塩分が結構なもんで、
凍ってはいなかったんだが、分量はイマイチ。
「しょう油」「ナンプラー」で「塩分」を加え、
「オイスターソース」で「旨味」をと目論むが、「甘味」が勝ち過ぎ。
どーせ「ナンプラー」「オイスターソース」と「魚系」ならってんで、
「かつ節粉」を加えてみたら、いい塩梅。
「豚」を煮た汁とは言え、「脂」はきれいに取ってあるので、
いかにも「さっぱり」な「豚出汁、魚系スープ」が完成した。
めでたし。
…と、「ラーメン」の作りを書いてはみたが、
実は、そんな事はどうでも良い。
なぜ「ラーメンになったか」ってのが本日の主題。
じゃあ、「なぜ?」って事なんだが、
「とにもかくにもラーメンが食いたかった」から…。
個人的な事だが、
「ラーメン」は、時に「妄想」となって頭の中を駆け巡り、
どこかに取り憑いて、離れなくなる。
「妄想」が暴れるきっかけも「唐突」「行き当たりばったり」。
「雑誌」「テレビ」「web」、「文章」「映像」etc.。
「ラーメン」の写真を見つけると、思わず目が止まり、
しばし見惚れる。
「ラーメン」なら、ほぼ何でも良い。
最近年波で、「さっぱり系」にバランスは移動し気味だが、
「でろでろ」「ギトギト」にだって食指は動く。
「塩」なら「高レベル」を要求はする事は、お許し願うとして、
「しょう油」「味噌」なら、何でも来いだ。
美しい「盛り付け」とは遠くかけ離れた、
「丼」からあふれそうな「もやし」も、「ラーメン」なら許せる。
「丼」からこぼれた「脂ツブ」も愛おしい。
澄んだ「スープ」、「具」の色あいに心奪われ、
「縮れた」「太い」「細い」「ストレート」な麺の「食感」を想い描く。
視界を遮る「湯気」は、その「イントロ」であり、
「スープ」に浮かぶ、キラリ光る「脂」の輪、
立ち昇る「香り」のアンサンブルが「グルーブ」を導く。
その「丼」の底に浮かぶ紋様は、熱狂を湛えた「エンディング」だ。
「ラーメン愛」ってところか?
けど「大好物」ってんでもない気がする。
「血」が欲しがるのかも知れない。
実はこの日「体調不良、多分、風邪」で店を休んだ。
けど、用意してあった「ラーメン」は食わずにいられず、
「ラーメン」食うために店に向ったのであった。
"newport"宮木英貴
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