2013年4月17日水曜日

4/13土曜 ジャージャー麺


より本式には「炸醤麺(ジャージアンミエン)」と書く。
麺はそこそこに冷たいけど、温かい「肉味噌」と、
冷たい「きゅうり」が乗っかった、汁無しの麺料理。
まー、ご存知の方も多かろう。

てか、偉そうに書いているが、
正直なとこ「ジャージャー麺」なんて知らない。
かつて好きだった「ラーメン屋さん」の、
「サブ的メニュー」にあったのを、時たま食ったことがあるだけ。
その「ラーメン屋さん」、「四川料理」の流れだった様だが、
多分そことて、「サブ」ってな位、「メイン」のメニューではない。
「ジャージャー麺」は北京近辺の家庭料理とな(Wikipediaより)。

ご家庭には、そのご家庭の「ジャージャー麺」が存在するはず。
…だし、それで「良い」と心得る。


当店のメニューにある「一般的」っぽい料理とて、
「当てずっぽう」「でっち上げ」が多々。
これを称して「newport風」となる。

「いわゆる一般的」と言われる料理には、
それぞれに、それぞれの「最高峰」があるはず。
そんなもん、それぞれ勉強するのは「物理的」にも不可能、
「経験」「レシピ」「人伝」「ヤマ勘」etc.で対処するより無い。
それぞれが「高く」「けわしい」山、「Long and winding road」だ。

「8年間ベネズエラで暮らして、どうして南米料理をやらぬ?」
と、聞かれる時がある。「だって、知らない。」と答えるしかない。
そりゃあ、現地の本物の「家庭料理」を、
「貧乏人」から「金持ち」の家で食った。
「習慣」ってヤツを「肌」で感じてはきた。
「朝昼晩」「一年それぞれの時の料理」etc.

もちろん「材料が揃わぬ」ちゅう事も大きい。
「根」がズボラだから、「レシピ」「メモ」なんてものも無い。
「現地の言葉」が中途で、「聞き出す」事もママならぬ。
が、当然「影響」は受けている。
自分の中で消化した「南米料理」は、実際お出ししている。
つまりは「南米風」だ。

なにより、そこでは「育って」いない。
「ミートボール」を「ピーマンのソース」で煮込んだ料理は、
決して「お袋の味」ではない。「DNA」には擦りこまさってはいない。
「表面」を舐めてきただけだ。
「知ってる」なんて恥ずかしくて、語れない。
だいいち、おいらは「塩辛」「味噌汁」「米のメシ」で育ったし。

以前、店主が「イタリアンは儲かりそうだし」って言って始めた店がある。
その物言いが、物凄く「違和感」を感じた。
そのお人、「イタリアン」は勉強していたが、
「イタリア」に暮らしたどころか、「行った」事も無いそうな。
今その店は無い。


「料理」とて、
「その土地、街、地域、都市、一国」の「文化」の一つ。
おいそれとは語れない。
8年ごときで「知っている」なんて言えない。
日本で、普段英語を話しているアメリカ人が、
8年暮らして「日本料理を知っている」なんて言ったら、楽しくはないでしょ?

ちなみに「イタリアン」は英語、
どうして「イタリアーノ」とイタリア語で、せめて言わぬ?

"newport"宮木英貴



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