2012年11月10日土曜日

11/9金曜 「パン(クロワッサン)」と「クリームシチュー」


そこら辺にある材料を、「バター」なんぞで炒めておいて、
「小麦粉」いれて、「牛乳」で伸ばす。
特別な「技術」も「材料」もいらない。
そんなんで「クリームシチュー」が出来上がるんなんて、
「コック」さんになって、初めて知った。

子供の頃、「クリームシチュー」は、この上ない程のご馳走だった。
「SB」の「クリームシチューの素」は、「神秘」「崇高」な「箱」だった。
何だか分からない程、難しい作業の「結果」としか思えなかった

だったはずが、
「クリームシチュー」の「出来上がり」のシステムを知った時は、
「感動」もしたが、余りの「単純さ」に、「愕然」ともした。
おかげで、それ以降「十数余年」、「クリームシチュー」を食する事はなかった。

ところが、最近、「懐かしさ」の後押しも有って、
「賄い」に登場するパターンが出来た。
ある意味「簡単」に「当たり前」に美味しくできるし、
材料は、そこらにあるもので、十分だ。便利この上ない。
当然、「クリームシチューの素」何ぞを使わずにだ。



ところで、何故「賄い」が「クリームシチュー」になったかと言うと、
某「忍路のパン屋さん」の「パン」が手に入ったから。
「パン」のお供なら、「スープだろ」って事だ。

ここ何年も、普通に食べる「パン」は、某「忍路のパン屋さん」の「パン」だ。
おかげで、普通に売っている「パン」が物足りない、
「パン」とは、別物に思える時さえある。

若干、金額的には「ガサ」が行くが、
真っ当な「材料」「手間」をかけた物は、やっぱり美味い。
それは理想の姿の一つだ。
あんな「理想的」を絵に描いたような「食い物」を作って売って、
そんな「商売」は、はっきり言って「羨ましい」。
し、そんな「理想的」な食い物が、身近にあるのは「幸せ」な事だ。

「幸せ」だなんて思わせる「食い物」なんて、やっぱり良い。
末長くあって欲しい物だ。

newport宮木英貴


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