チキンを「自家製しょう油麹」を「酒」で伸ばした「やつ」に一晩、
ただ「しょう油と麹」を「ガシャガシャ」っとして、
ただ「しょう油と麹」を「ガシャガシャ」っとして、
冷蔵庫で、何ヶ月も忘れられた存在だった「しょう油麹」、
「自家製」って程、偉そうなもんじゃあ無い。
そいつをオリーブオイルで焼き付けるんだが、
「焼けたしょう油の香り」と「チキンの脂」が相俟って、
けっこうに美味そうな匂い。
フライパンに残った、その焼き汁に「残り物」のパスタを投入、
味を吸わせて、付け合わせに。
ついでに得意の「キャベツの千切り」も乗っける。
嫁が言うに「お子様ランチ」。
これら「付け合わせ」と言うより「盛り合わせ」の様相なり。
これに「ご飯ちょびっと」と「味噌汁」が今日の「賄い」。
「チキン、パスタ、キャベツ」の一皿で、
ほぼこの時の食事の内容は完結している。
さて、その「付け合わせ」だが、
最近、その存在意味がどうも良く分からない様になっている。
例えば「寿司にガリ」の様な「口直し」、
「肉」との栄養バランスのための「野菜」、
日本的に言えば「箸休め」、
今回の「賄い」みたいな「盛り合わせ」、
見た目の「彩り」、
etc.…………
結局のところ、その辺の全ての理由の「サジ加減」「手加減」なんだろうが。
先の「色々な理由」をクリアした上で「美しい」ならOKだが、
「皿に絵を描く」みたいに抜かして、
「ソース」で線を描いて、ちょいと小っさい葉っぱ置いて…、
何のためか分からない「ソース」と、
「飾り以外の何物でもない葉っぱ」の、
「見た目」だけの盛り付けは納得がいかぬ。
もっとも、「ファミレス」のハンバーグの「それ」の様に、
「決まり事」みたいな、何の考えも見当たらないのも納得がいかぬ。
だからと言って「自論」もさして見当たらぬし、
明確な「サジ加減」「手加減」も身についているとは思えぬ。
袋小路だ。
"newport"宮木英貴
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