いわゆる「冷たい」ぶっかけそば、
に「大根おろし乗っけちゃいました」の態。
「蒸したキノコ」「シラス」なんざと豪勢に行きやしょう。
それにしても、
そもそも「下ろす」調理方はどう発想したもんか。
「硬い」何かを「粉」にして食い良くしようってんだろうけど、
まずは「石」に「挟んですり潰す」「こすりつける」ってところ。
けど「ギザギザ付けた板にこすりつける」ってのは、
まー誰か「ぶっ飛んだヤツ」が現れたんだろうさね。
それにも増して「天才」の所作は、
大根を「ギザギザ付けた板にこすりつけた」ヤツだ。
「大根」を別次元の「味」の食い物に昇華させた。
「煮た」とも「刻んだ」とも違う、
「甘く」て、何より「辛い」。スバらかしい。
近年の「100均」の進化は目覚しく、
ありとあらゆる、いわゆる「下ろし金」が売られている。
我が家では「鬼下ろし」ってのを愛用している。
これは「でっかいギザギザ」が付いた「下ろし金」、
引っ掻いたり、割ったりで、色々な形の「大根下ろし」を作り、
「歯触り」「味」様々なのをいっぺんに愉しめる。
極普通の「下ろし金」も充分に使えるクオリティ、
もっとも「プラスチック製」は、いつしか「ギザギザ」が磨り減り、
「下ろす」ってより「潰す」になっちまう。
「下ろす」ってのは、本来「切る」って作業に近い。
プロ御用達の「銅製」のヤツなんざ、まさしくその「働き」をする。
これで「手」なんぞ間違って「下ろし」た日にゃあ、目も当てられない。
その「銅製」とて「ギザギザ」はいつか磨り減るが、
これは「目を立てる」職人が存在し、修復するので、
半永久的に使えるって代物だ。
そんな「銅製下ろし金」の目の細いヤツで下ろされた、
「大根下ろし」は芸術的一品だ。
「切る」から必要以上の水分は出ず、大根の一片は極小、
「クリーミー」って言葉はまさにそれに当たる。
まーそれぞれに「味わい」って物はある。
「芸術的」だからって「ベスト」じゃあない。
ともあれ、何はなくとも「大根下ろし」は下ろしたてに限る。
"newport"宮木英貴
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