某所で食った「トマト入りパスタ」がいけない。
「トマト」の味は立ってない。
「パスタ」の味がしない。
「あーなんでぃトマトのパスタが食いたい」となる。
「スイッチ」が入ってまった。
本当を言うと、その「某所のパスタ」のせいじゃない、
「食いたいイメージ」が「頭」ってか、「口の中」に「ボワっ」と来る、
そうなると、自分で作った料理が無性に食いたくなっちまう。
自分が「食いたい味」を「食いたい様」に食いたいから、
そんなら自分で作るが手っ取り早いってぇ事。
これが「和系」「揚物系」ってんなら食いにも行くが、
「洋系」なら自分で作る。
要は「トマト味」、
それも「トマトの軽い甘酸っぱい」感じが食いたかった。
って「軽い甘酸っぱい」なんて変な日本語だが、
イメージに湧き出す「味」はまさしく「それ」、
「それ」を目指すはずだった。
が、使った「トマト」がいけない。
「100均」の「ピューレ系裏漉しトマト」これっきゃ在庫なし、
これはけっこうな塩梅「煮詰め」られていて「重さ」が出始めている。
「100均」でも「ホール系トマト」なら、
辛うじて「軽さ」「新鮮さ」も残っちゃいる。
決して「100均」が悪い訳じゃあない。
ちょっとの「軽さ」を「ピューレ系〜」に求めたが、
やっぱ「重重(おもおも)」。
食いたい「イメージ」からは遠のき、
余計に「スイッチ」は強く押し込まれた感じ。
まあ結局「生のトマト」を使うのが、
「自分」が食いたい「イメージ」に近づけるには「ベスト」だが、
「煮込む」にゃあ、それなりの時間が必要、
「ズボラ」こいちゃあいけねーって話。
"newport"宮木英貴
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