「炒飯」と言うと、思い出す事がある。
二十数年前、若い人が毎年入って来る様な、大きなキッチンでの事、
その若い一人が、「たまらんっす。」って顔している。
「夕べ、彼女に、野菜沢山で炒飯作ったら、"甘い"って怒られたんすよ。」
十数年前まで、料理に「砂糖」を使う事は、「ご法度」。
ただ「甘く」なる事に、「恐怖」さえ感じていた。
「砂糖」を使うのは「ダメ」な事だと思っていた。
これは一般的な話だが、
「お菓子」は、その味の「核」は「甘さ」。
「甘さ」に枝葉を付けて、「どう甘さを表現するか」がポイント。
「砂糖」の「甘さ」は、ただ「ベタ甘く」するだけだし、
非常に攻撃的で、先ずは「食べる舌」に当たってしまう。
が、ただ「甘い」だけの「砂糖」で「甘さの核」を作るのは、
逆に「枝葉」に影響を与えないのし、
「甘さ」が先に立つとしても、そもそも「甘さ」が「核」なんだから、
「砂糖」はありだ。
「料理」は、「核」は主となる材料。
出来るなら、その「味」を立てるのが基本。
先に「甘さ」が、立ってしまったら、あまりいい物じゃあない。
そこで、野菜の「甘さ」を利用する。
特に、よく炒めた「玉ねぎ」の「甘さ」は特筆もの。
「甘い」は「甘い」が、その「甘さ」は奥ゆかしい。
攻撃的に、舌に当たる事はない。
ゆえに、例えば「カレー」等では、時間をかけて「玉ねぎ」を炒め、
「甘さ」に加えて、「香ばしさ」も出す。
ま、「お菓子」と「料理」、どこで「線」を引くのよ?と言う事もある。
「明確」な物なんかありはしないので、「答」も出ない。
「曖昧」が好きで、「良い加減」が座右の銘になる「年齢」になると、
「砂糖」への恐怖心のなくなってしまった。
「砂糖」を「調味料」としてキチンと使う、
「和食」を勉強したせいもあるが、
今や「砂糖」は無くてはならない「調味料」になってしまった。
我がキッチンの冷蔵庫にも、「カレー」用ほど飴色にはしないが、
スライスした「玉ねぎ」を、時間をかけて炒めた「物」が常備されている。
これが、例えば「パスタ」等に、軽い甘さを加える。
「甘さは、野菜で出せ!」
洋食屋の、諸先輩の声が聴こえる。
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