2012年8月17日金曜日

8/16木曜 炒飯

「炒飯」と言うと、思い出す事がある。
二十数年前、若い人が毎年入って来る様な、大きなキッチンでの事、
その若い一人が、「たまらんっす。」って顔している。
「夕べ、彼女に、野菜沢山で炒飯作ったら、"甘い"って怒られたんすよ。」

十数年前まで、料理に「砂糖」を使う事は、「ご法度」。
ただ「甘く」なる事に、「恐怖」さえ感じていた。
「砂糖」を使うのは「ダメ」な事だと思っていた。

これは一般的な話だが、
「お菓子」は、その味の「核」は「甘さ」。
「甘さ」に枝葉を付けて、「どう甘さを表現するか」がポイント。
「砂糖」の「甘さ」は、ただ「ベタ甘く」するだけだし、
非常に攻撃的で、先ずは「食べる舌」に当たってしまう。
が、ただ「甘い」だけの「砂糖」で「甘さの核」を作るのは、
逆に「枝葉」に影響を与えないのし、
「甘さ」が先に立つとしても、そもそも「甘さ」が「核」なんだから、
「砂糖」はありだ。

「料理」は、「核」は主となる材料。
出来るなら、その「味」を立てるのが基本。
先に「甘さ」が、立ってしまったら、あまりいい物じゃあない。
そこで、野菜の「甘さ」を利用する。

特に、よく炒めた「玉ねぎ」の「甘さ」は特筆もの。
「甘い」は「甘い」が、その「甘さ」は奥ゆかしい。
攻撃的に、舌に当たる事はない。
ゆえに、例えば「カレー」等では、時間をかけて「玉ねぎ」を炒め、
「甘さ」に加えて、「香ばしさ」も出す。

ま、「お菓子」と「料理」、どこで「線」を引くのよ?と言う事もある。
「明確」な物なんかありはしないので、「答」も出ない。
「曖昧」が好きで、「良い加減」が座右の銘になる「年齢」になると、
「砂糖」への恐怖心のなくなってしまった。
「砂糖」を「調味料」としてキチンと使う、
「和食」を勉強したせいもあるが、
今や「砂糖」は無くてはならない「調味料」になってしまった。


我がキッチンの冷蔵庫にも、「カレー」用ほど飴色にはしないが、
スライスした「玉ねぎ」を、時間をかけて炒めた「物」が常備されている。
これが、例えば「パスタ」等に、軽い甘さを加える。

「甘さは、野菜で出せ!」
洋食屋の、諸先輩の声が聴こえる。



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