先日、スーパーにて、嫁が嬉々としている。
手には「北寄のひも」だけが詰められたらパック。
剥いた北寄は、「ベロ」だけが刺身用に売られ、
残りの「ひも」だけを集めた物だ。
街の「市場」では未だに安いが、スーパーでも、
ほんの10年前までは、こう言う物は安かった。
流石に「北寄のひも」は、未だにそう値は張らぬが、
例えば、「ぶりカマ」はしょうがないにしても、
その他のアラは、さして安価ではない。
「牛肉」だって、
「スネ」やら「スジ」は、昔はえらい安かった。
それ以上に、そんな物はスーパーじゃあ売ってなかった。
今や、普通に売っている上に、
当たり前に、「ロース」や「モモ」並みに値段を取る。
スーパーの値段設定は、世情をもろに反映する。
てか、スーパーの値段が、食品事情を作っているかもしれない。
思えば、
「狂牛病」やら「農薬問題」やら「賞味、消費期限」やらの、
「食品の安全」問題が、声高に言われ始めた頃から、
そしてそこに、材料不足、輸入不足、バイオ燃料の事がからんで、
「そいつら」の値が上がり初めた。
それから、「値」は下がる気配を感じさせない、
下がってもほんの少しの状態、が、多分、ここ数年は続いている。
例えば、「狂牛病」後「タン」の値が、「国産」のみならず「輸入」物も沸騰した。
肉屋さんは、「お前さんの買える代物ではない。」と、売ってもくれなくなった。
今は、流石に「輸入物」は安くはなったが、以前に比べれば、高値安定している。
「ロース」やら「モモ」やら、普通に食う部位の値が高値安定、
そんじゃあってんで、「安い部位」に、人は目を向け、
「食べ方」の浸透と共に、「スネ」「スジ」が普通に食べられる様になり、
結果、「スネ」「スジ」も高値安定となった。
肉に限らず、野菜でも、なんでも、
安くなる物は、べらぼうに安くなったりもするから、
目先が変わって、全体的に「安い」印象を受けがちだが、
本当は、全体的に「高く」なっている様に感じてならない。
本来食べられる部分以外を、我々夫婦は「はしっこ物」と呼んでいる。
この「はしっこ物」は、我々の食生活の見方だった。
手のかけ方によっちゃ、「本来食べられる部分」より美味かったりなんかする。
「はしっこ物」が高くなっちゃ、困るのよ。
本当。
newport宮木英貴
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