2012年6月28日木曜日

6/27水曜 カレー


子供の頃、「カレー」の肉は「豚」の薄っぺらい「肉」。
「豚コマ」「豚バラスライス」 あたりかね。
ここで北海道の「昔の肉文化」、
「すき焼きは豚だべ」とか「焼肉はジンギスカンだったべ」、
とかを持ち出すんじゃあなくて、単純に「カレー」の肉の事を言っている。

今、この年になると、さほど「肉!肉!」ちゅう事は無いが、
若き頃は、「体」的にも「気持ち」的にも、
「肉」を欲して、渇望して止まなかった。
「肉食いたい!」といつも思っていた。
ちなみに、当店では、そう言う性質の人間を、影で「食肉人種」と呼んでいる。

「婆さんっ子」の、我が家の「カレー」の肉は、まさしく「薄っぺらいそれ」。
それも、漂っている位の量、「ダシ」替り程度だった。
「何で肉少ねぇのよ!」といつも思っていた。
だって、「TV」のカレーの宣伝は、肉が「ゴロッ」と入っている。
この間、隣の「Y君ち」でご馳走になった「カレー」は、「肉」が山盛りだった。
母親に「肉少ねぇ」と、親不孝にもグチった事もある。
今思うと「浅はか」にも程があるが、その時は真剣だったんだろう。

後に、高校生になり「悪さ」をする様になって、
「婆さん」宅にはいられなくなり、母親の「お三度ん」となると、
もう、夢の様な「カレー」が出現する。
「肉の角切り」が「山」の様。但し「豚」だが。
ここで「親の愛」を感ずるべきだが、「トウヘンボク」にはカスリもしない。
ただ、ただ、「ウハウハ」言っているだけだった。

我が「母親」の仕事は「給食のおばさん」。
職業柄、「料理」には興味があった様で、ある日、「煮込み料理」に目覚め、
「カレー」をガンガンに煮込んだ。
「もう、野菜も肉もトロトロ。煮崩れちゃった。」と嬉々としている。
見ると、全てが「渾然一体」、辛うじて「残骸」が漂っている程度、
黄色い「お粥」、汚い事言えば「ゲロ」みたいになっている。
聞けば、「肉」は普段通りの量が入っているとの事。

「俺の、肉はどうなった!返せ!」と叫んだか、どうかは忘れたが、
その後、「煮込みカレー」は食った覚えが無いので、
きっと、怒涛の「クレーム」を付けたに違いない。
なんちゅう「親不孝」、穴があったら入りたい。
けど、当時の「ガキ」の発想から言えば、
「肉」は、「歯応え」「形」「脂肪感」があって、始めて「肉」だ。
味だけしたって「肉」とは言えなかった。

今では自分が「肉」の、「歯応え」「形」「脂肪感」を、
コントロールする事が仕事になっている。
我が「母親」もこれがしたかったんだろうが、息子の「クレーム」には勝てなかった。
ある日、当店にて「煮崩れた肉は、肉じゃねぇ」と曰う酔っぱらいがいて、
この事を思い出した。

「カレー」の肉で感じる「親の愛」で、ありました。
ちゃんちゃん。

newport宮木英貴




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