子供の頃、「カレー」の肉は「豚」の薄っぺらい「肉」。
「豚コマ」「豚バラスライス」 あたりかね。
ここで北海道の「昔の肉文化」、
「すき焼きは豚だべ」とか「焼肉はジンギスカンだったべ」、
とかを持ち出すんじゃあなくて、単純に「カレー」の肉の事を言っている。
今、この年になると、さほど「肉!肉!」ちゅう事は無いが、
若き頃は、「体」的にも「気持ち」的にも、
「肉」を欲して、渇望して止まなかった。
「肉」を欲して、渇望して止まなかった。
「肉食いたい!」といつも思っていた。
ちなみに、当店では、そう言う性質の人間を、影で「食肉人種」と呼んでいる。
「婆さんっ子」の、我が家の「カレー」の肉は、まさしく「薄っぺらいそれ」。
それも、漂っている位の量、「ダシ」替り程度だった。
「何で肉少ねぇのよ!」といつも思っていた。
だって、「TV」のカレーの宣伝は、肉が「ゴロッ」と入っている。
この間、隣の「Y君ち」でご馳走になった「カレー」は、「肉」が山盛りだった。
母親に「肉少ねぇ」と、親不孝にもグチった事もある。
今思うと「浅はか」にも程があるが、その時は真剣だったんだろう。
後に、高校生になり「悪さ」をする様になって、
「婆さん」宅にはいられなくなり、母親の「お三度ん」となると、
もう、夢の様な「カレー」が出現する。
「肉の角切り」が「山」の様。但し「豚」だが。
ここで「親の愛」を感ずるべきだが、「トウヘンボク」にはカスリもしない。
ただ、ただ、「ウハウハ」言っているだけだった。
我が「母親」の仕事は「給食のおばさん」。
職業柄、「料理」には興味があった様で、ある日、「煮込み料理」に目覚め、
「カレー」をガンガンに煮込んだ。
「もう、野菜も肉もトロトロ。煮崩れちゃった。」と嬉々としている。
見ると、全てが「渾然一体」、辛うじて「残骸」が漂っている程度、
黄色い「お粥」、汚い事言えば「ゲロ」みたいになっている。
聞けば、「肉」は普段通りの量が入っているとの事。
「俺の、肉はどうなった!返せ!」と叫んだか、どうかは忘れたが、
その後、「煮込みカレー」は食った覚えが無いので、
きっと、怒涛の「クレーム」を付けたに違いない。
なんちゅう「親不孝」、穴があったら入りたい。
けど、当時の「ガキ」の発想から言えば、
「肉」は、「歯応え」「形」「脂肪感」があって、始めて「肉」だ。
味だけしたって「肉」とは言えなかった。
今では自分が「肉」の、「歯応え」「形」「脂肪感」を、
コントロールする事が仕事になっている。
我が「母親」もこれがしたかったんだろうが、息子の「クレーム」には勝てなかった。
ある日、当店にて「煮崩れた肉は、肉じゃねぇ」と曰う酔っぱらいがいて、
この事を思い出した。
「カレー」の肉で感じる「親の愛」で、ありました。
ちゃんちゃん。
newport宮木英貴
0 件のコメント:
コメントを投稿