「長沼」の「味付ラム」をいただいた。
正直なところ、いただきでもしなきゃ、食べることは無いねぇ。
その味は、一言で言って「甘い」。
つい4~5年前まで「甘い」事は「罪」、
「砂糖」を使うなんてのは「もってのほか」と、思っていた。
最近は寛大にもなって、「甘い味」、「砂糖」も許せる様になったが、
それでも許せない位「甘い」。
「羊肉」には、そもそも独特な「匂い」がある。
「匂い」なんて言うと、「嫌な」イメージがある。
「香り」と言い変えたいところだ。
しかし、多くの人にとって、やっぱり「匂い」だろう。
だから、より「匂い」の強い「マトン」、つまり「親羊」を敬遠して、
より「匂い」の柔らかい、仔羊の「ラム」が好まれる。
もっとも、「マトン」と「ラム」とでは、
肉質の「固い」「柔らかい」ちゅう違いもあるでは、あろうが。
その「独特」さを和らげるため、「味が濃い」「香りの強い」
いわゆる「ジンギスカンのタレ」に、
「付ける」「漬け込む」して「ジンギスカン」として食う。
考えてみると、「羊」に失礼な話しだ。
その持って生まれた「個性」が、「否定」されている事になる。
じゃあ、どうして、そんな「否定的」な「肉」を食わなきゃならないんだろう。
国産の「羊肉」は、かなり少ないから、わざわざ輸入してまでだ。
いささか短絡的かも知れないが、
これは、やっぱり、「値段」かな?
まだ多くの人が貧しかった頃、
「牛肉」は高い、でも、何時も「豚」「鶏」じゃあって事だろうか?
もし、そうであれば、新しい物に目を向けている分だけ、
素晴らしい事だが。
「匂い」を「香り」として、
「否定」ではなく、「共存」できはしなかったものか。
「生魚」を、「しょう油」「わさび」で食うようにだ。
「魚」文化より、「肉」文化は新しい。
「獣肉」を食うセンスは、「薬食い」から、未だたいした進歩が無いって事。
目をつぶって、「エイッ!」て食うのさ。
けど「羊」食うのに、
そろそろ「ジンギスカン」だけでも、ないんじゃないかい?
newport宮木英貴
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